残るも悲惨なら、去るも悲惨
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ウクライナ東部の町の多くは、戦火で人の住む町ではなくなってしまった
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案じられるウクライナ情勢。和平協定の締結後は本格的な戦闘行為は行われていないものの、ロシアとの国境沿いの町ではここに来て再び小規模な
戦闘が始まっている。 先日
、NHKのBSテレビ・国際報道を見ていたら、ロシアへの避難する人々の悲惨な様子が報道されていた。ご覧になられた方もおられることと思うが、
なんとも胸の痛む内容であった。
ウクライナ情勢を伝えるニュース番組を見ていると、激しい戦闘に見舞われどこにも逃げる手段を失った人々が、地下室に生活拠点を移し、電気も水道もない中で暮らしている様子が放映されている。どうやらそうした人々はお年寄りの方がほとんどで、若い母親は子供を連れてウクライナの首都やロシアに避難しているよ
うである。
ロシアに避難する人々は当然ロシア系住民で、彼らは国境沿いのロストウ州へ向かっている。昨年春ごろにオープンしたピオネールの避難所には、250人ほどの人々が狭い部屋に身を寄せ合って暮らしている。
彼らの多くは生活資金が乏しく行く当てもないので、ロシア政府の支援に頼らざるを得ないからである。
NHKの取材班が見た一人の子供は、履く靴もなく裸足で暮らしていた。その理由を母親に訪ねると、ぎりぎりまで攻撃を耐え忍んでいたが、これ以上は無理と避難を決断した時には
、あまりに攻撃が激しく靴を履かせる余裕のないまま着の身、着のままで避難して来たのだと語っていた。
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国境沿いのロシア・ロストウ州に向かう避難用のバス
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こうした状況はニュースではなかなか伝えられない。しかし、こうして逃げ延びてきた家族も、避難施設には次々と避難者がやって来るため
、到着して3〜4日もすると、そこを出て行かなければならないケースが多いようだ。長女と両親をウクライナに残し、次女と二人で逃げ延びてきたナターリャ・イワノハさんもその一人であった
(写真下)。
避難所を出た彼女たち二人の行く先は、バスと汽車を乗り継いで国境から3000キロ離れた西シベリアであった。そこは何のつてもない、まったく見知らぬ土地であるという。
そんな西シベリアの地に向かって旅立つイワノハさんの子供が汽車に乗る前に見せた涙と、母親ナターリャさんが悲しみをこらえて語った次の言葉が印象的であった。
「この戦争は誰にも必要ありません。悲しすぎて言葉が見当たりません。でも声を大にして言いたい、みんな戦争を止めて!」。
そんな誰もが求めない悲惨な戦争を意図的に起こしているのが「闇の勢力」に属する人々である。
彼らは自分たちが統治するワンワールド(世界統一政府)を樹立するのに、時間がないことを知って焦っているのだ。
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西シベリアに旅立つイワノハさん親子、少女の目に光る涙が印象的であった
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一方避難民の中には、運良く6ヶ月が過ぎても避難所に居続けられる家族もいる。しかし、
そんな家族も行く当てもない避難所暮らしが幸せであるはずがない。 3人の子供と夫婦の5人家族のユリヤ・ゴルシコワさん一家も思いは同じだ。 そんなゴルシコワさんが語った一言も、胸を打った。
「人生に戦争が入り込んできました。ただ穏やかに暮らしていただけなのに。 今の私たちはまるで風に舞う落ち葉のようです。自分で何も決められず、風の吹くままに流されていくだけです。それでも太陽は私たちを照らしてくれます。光は必ずどこかにあるのです。 終わらない戦争はないと言われますが、それだけを私は信じています」
ゴルシコワさんの言葉は深く胸を打つ。しかし、 現在、ウクライナや中東で起きている紛争や戦争はこのまま止むことなく続き、ハルマゲドンへと向かうことになりそうである。
今、火の手が上がっている各地の戦火は、これから先、野火のごとく燃え広がり、行き着くとこまで行かないと終わりそうもない。その行き着く先がハルマゲドンであるがゆえ、聖書はそれを
「最終戦争」と呼んでいるのだ。
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狭い部屋で暮らすゴルシコワさん一家。 これから先、
彼らは再び故郷の地を踏むことが出来るのだろうか
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