きしみ始めた中国社会
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民間金融会社「影の銀行」の倒産で泣きを見る一般市民が急増
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昨年の1月に掲載した「中国経済破綻の狼煙」で予測し、その後も追跡記事を書いてきた通り、中国の「影の銀行(シャドウバンキング)」と呼ばれる民間金融会社の倒産が続出し、中国社会を揺るがす深刻な問題となって来た。1000万人を越す市民に深刻な影響を及ぼし始めたからである。その詳細については後で記すこととして、先ずは
、「影の銀行」がいかなるもので、そのような銀行まがいの「えせ金融会社」が乱立するようになった経緯を知って頂くことにしよう。
「民間金融会社」は中国の各都市の繁華街の一等地に構えており、政府公認の金融機関と思い込んだ一般市民は、5年ほど前からそうした金融会社に投資するようになった。
投資と書いたのは、中国における通常の預金金利4%とは一桁違う15〜20%もの金利がつく預金だからである。
そんなとんでもない金利で預かった金融会社はどうやって採算がとれるのか? また、なにゆえそうした金融会社が乱立することとなったのか? そこに
、中国のこの10年の驚異的な経済成長の真相と共産党官僚の腐敗の実体が隠されているのである。
積極的な財政投資を行って8%前後の経済成長を遂げていた中国、そこにリーマンショックの荒波が襲ったのが7年前の2008年。この経済成長率を維持しようと、当時の胡錦涛政権は65兆円もの財政投資を行ったのである。
その結果、我が国や欧米諸国などほとんどの国の経済が停滞しいる中で、中国は10%という驚異的な成長を遂げて来たのである。この成長率の中心的な原動力となったのが不動産開発で、それは4年間ほどの過熱期間
を経て「不動産バブル」と「インフレ」を産み出すこととなったのだ。
中国政府の金融政策が産み出した「影の銀行」
不動産バブル化の発生で銀行が手を引いたあと、融資を行って来たのが
民間金融会社「影の銀行」。 そこに投資してきたのが一般市民であった。
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今や中国の各都市には、こうした建築途中で手を引いたビルが
乱立。 その一角を市民は「鬼城」(幽霊都市)と呼んでいる。
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そこで中央政府は一転して金融緩和から金融引き締めに転換、それは2012年の終わり頃であった。 政府の政策に従った中央人民銀行の貸し渋りで、悲鳴を上げたのが
不動産バブルのまっただ中にいた建設会社や不動産会社であった。 そこに登場したのが「影の銀行」と呼ばれる民間の金融会社であった。
建てれば売れる建設ブームの真っ最中であったため、不動産会社も建設会社も金利には糸目をつけなかった。 資金さえ手に出来れば土地もマンションも飛ぶように売れ、多額の儲けを手にすることが出来たからである。それゆえ、25%を越す
高金利で融資ができた民間金融機関は、一般市民から15%を越す破格の金利で資金集めをすることが出来たと言うわけである。
正式な金融機関である中国人民銀行やその傘下の銀行の金利は4%前後。インフレが進んでいた中国社会では、この程度の金利では市民はいくら預金していても実質的に増えることにはならなかった。そこに15〜20%という高金利の預け先が現れたのだから、市民は皆こぞって預金することとなった。
それも、多くの人が少しでも金利を稼ごうと、持てる資金の全てをかき集めて預金したのである。その投資先の金融会社が2年ほど前からおかしくなり、金利の支払いが遅滞し始めて
、次々と倒産が発生するところとなったのである。
倒産の要因は不動産バブルの崩壊。 8年間にわたって膨らみ続けてきたバブルが一気に弾けて土地も住宅も値崩れ。 それを受けて民間金融機関が次々と倒産し始め、すでにその数は各都市で数十社、中国全土では悠に10,000社を越して来ており、
預金が消えてしまった被害者の数は1000万人に達している。
信用して、長い間かかって貯めたなけなしの金の全てを預金した銀行が倒産。 気がついたときには経営者は夜逃げして、訪ねた店舗はもぬけの殻。 これでは預金者はたまったものではない。もちろん日本のように銀行倒産に1000万円の保証などない。
あとはどうやって生きていくかである。 幼い子供を抱えた商店主もいれば、病弱な妻と二人暮らしの老人夫婦もいる。
市民の怒り、中央政府に向かう
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全財産を失った市民による政府への抗議活動が始まっている
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こうして、なけなしの預金を失うことになった市民は次第に結集して何とか預金の一部でも取り戻そうと動き出した。その結果判明したのは、多くの市民が信用して資金を預けた預金先
が国が認めた銀行ではなかったことであった。
民間金融会社が店内に掲げていた中国政府や地方政府の認定書は、企業として認めたものに過ぎず、金融業としての「おすみつけ」ではなかったというのだ。
営業許可が政府から与えられていながら、その実体は非合法な金集め会社だったというわけである。まさに「影の銀行」と呼ばれた通り、銀行の影に隠れた「エセ銀行」であったのだ。
しかし、その実体を地方や中央政府は知りながら黙認していたのだから恐ろしい。 その証拠に、民間金融会社の発足式には政府のお役人や市長が出席していたばかりか、地方政府自身がそうした会社から多額の融資を受けて巨大な都市開発プロジェクト行って来ていたのでる。
その結果、各都市には人の住まない幽霊マンションや建築途中で投げ出された大型プロジェクトの建造物が林立するところとなったのだ。
こうした状況下、中央政府のHPに寄せられる国民からの関心事のトップになって来たのが、金融会社の破綻問題であった。 ところが、大量に寄せられた「全国の民間登録会社の破綻に政府はどう対応するのか!」という項目が、ある日突然HP上から消えてしまったのである。
中国政府のやりそうなことである。
役人たちは、この問題の対応を一歩間違えると、自分たちの政治生命に関わることを
承知していたのである。 役人たちのひどさはこれだけではなかった。 インフレの高騰が進む中、政府が金利を4%前後で留めおいた理由
を知れば、それが分かる。 彼らは 一般市民には目をくれず、富裕層が経営する銀行や企業に儲けさせようとしていたのである。 インフレでぼろ儲けし
た企業、 4%で預かった金を10%を超す金利で企業に融資して6%以上の金利
を稼いでいた銀行、そこから役人たちは巨額の見返りを得ていたのである。
つまり、「影の銀行」を産み出したのは、中国政府が実施してきた誤った金融制度とその裏に潜んだ役人の腐敗行為であったというわけである。 中央政府と地方政府が一体となって産み出した「影の銀行」
、その破綻が社会にいかなる影響を及ぼすことになるのか、その実情が明らかになるのはこれからだ。
「影の銀行」がかかえた理財商品と呼ばれる融資金額は、400兆円とも500兆円とも言われている。 ここ1〜2年の狂気的な株価の高騰の終焉時に時を合わせて待っているのは、中国経済の破綻と市民の暴動である。
そしてその時が刻一刻と迫って来ていることを、読者には知って頂けたであろうか。
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