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ペルーのマチュピチュ近郊で大洪水

HPの掲載年数、20年を経過
     掲載回数は3000回を超え、
         カウント数は 31、572、820回

 
 

 
 


今から20年前の1999年11月に初めて訪問した際に撮影したマチュピチュ。

 
 


新年明けましておめでとうございます。いよいよ2020年の始まりですね。振り返って見れば、私が会社の役員を退いて世界に飛び出したのは1999年の11月 、今から20年前でした。

最初の探索地はペルーの遺跡「ナスカの地上絵」と謎の空中都市「マチュピチュ」、それにクスコの「サクサイワマン城塞」であった。どれもが夢にまで見た遺跡であったため、現地で目にしたそれぞれの光景は衝撃的で、今でも瞼に焼き付いている。中でも、険しい山道を歩いて眼下にマチュピチュの全景を眺めた時の感動は、生涯の宝となっている。

最初の旅は団体旅行であったため長居は出来ず、1週間ほどで帰国することになったが、帰宅後、書き上げたの HPが、「ペルー探索の旅」であった。早いものであれから既に20年が経過。この間に記載したHPの回数はおよそ3000回、その量は 掲載した写真をそのまま転載するなら300ページの本で40冊に達するだろうか。

会社を退くまでは写真撮影など全く縁がなかったので、世に出始めたデジタルカメラを購入しての旅であった。撮影した写真はまさに素人写真で、 人様にお見せできるような写真はほんの数枚。中でも、ナスカの地上絵は、搭乗したセスナ機が左右に旋回するため、飛行機酔いしてしまい、まともな写真は撮れずに終わってしまった。

その後、ナスカには何度か訪ねることになったが、最後に撮影した写真はセスナ機の外に身を乗り出し、数百メートルの上空からロープ一本に身を託して 撮影したものだけに、自慢できる写真となった。機長が貴方のような命がけで撮影する人に会ったことがないと驚いていたが、地上絵を真上から正確にその姿を撮影するには、それしか手段がなかったからであった。

 
 

 
 


2回目の訪問で撮影した「夕陽に染まる三大ピラミッド」

 
 

 

その後、探索の旅は年数を重ねて、「エジプト」から「メキシコ」、「グアテマラ」、「北欧」、「南極」、「北極」へと続き、主要な遺跡はほぼ訪ね終わった。どの遺跡もみな2回以上にわたって探索しており、マチュピチュに至っては訪問回数は10回を超すところとなった。 中でも特別の許可を得てマチュピチュの山頂で夜を過ごした体験は、私の人生にとって生涯忘れることのない貴重な体験であった。

それもみな、マチュピチュが世界遺産に登録される以前の探索であったからこそ、許されたことであった。 山頂の巨石に囲まれた遺跡で横になりながら眺めた南十字星。南半球からしか見ることの出来ない南十字星を私は南極の棚氷に張ったテントの 外と、アマゾンのジャングルの中から展望して来た。恐らくそれだけのチャンスに恵まれた探索家は、少ないに違いない。

ペルー最後の訪問地はペルー・アマゾン、1カ月以上にわたるアマゾン探索には6〜7人のスタッフを擁するだけに経費は高額、3度にわたるアマゾンの旅を終えた 頃には、銀行の預金残高は底をつくとことと相成った。(笑い)

こうした数十回にわたる探索の旅は、どれもがみな、命を懸けての旅の連続であった。中でも肉体的に身の危険を実感したのは地上絵のセスナからの撮影と、標高 4000mを超えるボリビアの山岳地を横断する旅。それと、2001年12月に爆弾テロが発生した直後のエジプトのピラミッドへの旅であった。

今も書斎に掲載している第2ピラミッドを背景にしたスフィンクスの写真には、日中の景観であるが人の姿が全く写っていない。世界最大の観光名所で 知られたピラミッドで人の姿が全く写っていない写真など、撮影することなど出来るものでない。

なぜそんな写真が撮れたのかというと、爆弾テロで世界中が驚きに包まれた直後に、あえてエジプト行きを決行したからである。私という男はそうしたことをするタイプなのだ。搭乗した日本航空の乗客はほんの数人、エコノミークラスの搭乗券で搭乗した私だったが、搭乗席はファーストクラスを自由に使え、美人のスチュワーデスが運んでくれた食事は ファースト客と一緒。

そして訪ねたピラミッド内部での撮影は自由自在で、普段は許されることのない第一ピラミッドの石積みを登ることも出来たのだから最高だ。当時は第一ピラミッドの地下には降りれなかったのだが、それもOkとなって 数々の貴重な体験を経験することが出来た。実はテロの直後程、安全な旅はないのだ。わずか数人の観光客に何台ものパトロールカーが前後を守ってもらえるのだから一国の元首以上。こうして訪ねた2回目のエジプト探索の旅も、忘れられない旅の一つとなった。

 

 

 

 
 


「北極の旅」   幸いにも白熊の親子を目にすることが出来た。

 

 
 

 
 


「南極の旅」   浮揚する氷山

 

 
 

 
 


「アマゾンのアンデスイワドリ」  高温と高い湿度の中での撮影は厳しかった。

 
 

 

そうした海外の遺跡探索から始まった私のHPはその後、沖縄や北海道などの国内の旅の様子や世界の国際情勢、経済情勢、次第に勢いを増す一方の自然災害などを書き続け 、いつの間にやら20年が経過していたというわけである。

その間に記して来たことは皆一つ一つ現実となって来ており、世情の厳しさは一段と増すばかりである。こうして書き続けてきた 20年を振り返ってみると、掲載回数は3000回を超していたというわけである。

その間、読者の皆さんにご覧ただいた回数は、既に3000万カウントを超し、本日の12時の段階で31,5 72,820に達するところとなった。正直なところこの20年間、7000日を超す日々の中、私の頭の中からHPに対する意識が消えることはなかった。だからこそ20年間という歳月にわたって書き続けることが出来たのである。

1回のHP掲載にかかる時間は短いものでも、4〜5時間。長く複雑なものでは10時間を超し、シリーズものにおいては何日間にもわたって書き上げることとなった。そうして書き続けて 来たわけであるが、昨年あたりから使用しているマイクロソフト社のHPソフト「フロントページ」がパンク状態となり、その後、何人かのプロの方にお力沿いを頂いて、何とか書き続けて来たものの、トラブルの連続で厳しい状況が続いていた。

異常はソフト面だけでなく、私の身体的面にも及んで来ており、ここにきて視力が急激に低下し、メガネのレンズで修正できる範囲を超えるレベルに達してしまった。どうやら、パソコンに向かう時間 が限界を超えたようで、このまま続けることは難しくなったようである。

そうした事情もあり、また世界の流れについてはこれまでに記して来た著書やHP、講演会等で十分にお伝えして来ているので、ぼつぼつ、この辺で手を引いてもよいのではないかと思っているところである。 先ずは1月以降は、週に1度ぐらいを目途に掲載回数を減らして様子を見てみようかと思っている。ただそれとて、どこまで続けられるかは不明である。

しかし、他の体調面には問題はないので、掲載回数を減らしながら、徳乃蔵へご来館頂けた皆さんには、金龍様の掛け軸の掲げられたお座敷で、 お伝えすべきお話しをさせて頂けたらと思っている。

 

 

 
    
 

 

 


 

 

 

 

 

 

 




 

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