アメリカにおける体験
都築氏は1986年に日本を離れてロスアンゼルスに行かれたようであるが、その後、渡航先のアメリカでも同様な体験が何回か続いたようで、渡米して8年後の1994年には次ぎのような体験もしておられる。
アメリカへ来てからも、2度ほど同様の経験があり、一度は日本語を流暢に話すアメリカ人女性にレストランで声をかけられて、NHKで一緒に仕事をしていたと言うのです。でも、私は既に渡米8年目でNHKでその女性と一緒に働いていた事はありませんでした。
丁寧に「いえ、お会いした事は有りませんから人違いではないですか?」と申し上げると、彼女は「どんな理由があってそんな子供だましみたいな嘘をついて私の事を知らないと言うのよ?」とでも言わんばかりに、非常に立腹してしまったようです。
ロスで声をかけてきたこの女性も、都築氏が知人と食事をしている近くの席で1時間以上も彼の様子を眺め続け、食事が終わってから声をかけてきたいうから、その女性も見間違えたということはなさそうである。
ロスに出現した別人格者は沖縄にいたB2である可能性もあるが、もしかすると、この人格者もまた別人格者でB3なる存在かもしれない。そうなると、本人以外に3人の別人格者が登場することになりますます混乱してくるが、その謎を解く鍵は、人生に於ける折々の選択肢の後、
選択したのとは別の人生をパラレルワールドで体験するという「多重人格説」の中に隠されているようである。(この点は後で触れる)
これまでの話をお聞きして不思議に思ったのは、どの体験もみな女性が絡んでいることであった。その点を都築氏に話したところ、彼も私と同じ点に感づかれていたようで、次のような返信メールが届いた。
興味深いのは、浅川様も書かれていたように、私の体験談には常に「女性」が関連してきます。
もう一人の「純」を目撃したケースでは女性が多く(高校時代の彼女、同棲してた彼女、沖縄の古着屋で僕を見かけた友人女性)、また、目撃された時に僕と一緒にいたのも、女性(札幌で助手席に乗っていた髪の長い女性、沖縄で赤ん坊を抱いた白人女性)の場合が多いのです。
沖縄の公園で後ろから声をかけられて「あら、Junじゃない・・・久しぶりねぇ!」と言われたのも知らない白人女性ですし、ロス(ビバリーヒルズ)のレストランで声をかけて来たのも女性です。
しかし、女性だけが彼の別人格を眺めたわけではなく、同棲者の弟や車から目撃した友人や、沖縄の兵士のように男性も目撃しているわけであるから、不思議な体験を女性の面からひもとくわけにもいかないようである。
ただ、女性の方が感性が鋭い面があることを考えると、目撃者に女性が多い点は頷ける面があることは確かである。私が『2012年アセンション最後の真実』(学研刊)
の中で紹介している、頭部が半透明の人物を2回にわたって目撃した人物も、3人とも女性であった。
様々なパラレルワールド
いずれにしろ、都築氏が知ることになった別の自分の存在を理解するには、この世と並行して存在しているパラレルワールドの存在を受け入れないわけにはいかなくなってくる。しかし、ここで登場するパラレルワールドは、ペトル・ホボット氏が対談本『UFO宇宙人アセンション』の中で語っているそれとはまた少し状況が違うように思われる。
というのは、一般的に言われるパラレルワールドは我々が今住んでいる世界とは波動が違う世界と考えられているからである。だからこそ、この世と並行して存在できるわけであるが、
都築氏が体験したB1あるいはB2、B3が住む世界は決して波動が大きく違う世界ではなさそうである。
というより、この世界となんら変わらない世界であるようだ。なぜなら、この世と同じ車が走っており、食べるものも同じであったり、また容姿そのものもまったく変わりがないように思えるからである。
となると、このパラレルワールドはどういった形でこの世と重なって存在することが出来ているのだろうか? その点がなんとも理解しにくい点である。ただ、
わずかな波動の違いの世界が幾層にも重なって存在することもあり得ないわけではないので、地上界とほとんど同じ世界が並行して存在しているのかもしれない。
次のような「多重人生論」的な観点から考えると、こういったパラレルワールドが実際に存在していても、なんら不思議でないように思えるのである。
それでは次ぎに、皆さんが普段あまり考えることのない「多重人生論」についてはお話しすることにしよう。
分離した意識が別の人生を歩む
人は人生を歩んでいく際に、さまざまな場面で重要な選択を迫られる状況に遭遇する。例えば就職一つとっても、Aという会社に入って都会でサラリーマンとしての人生を歩むか、農業に従事して自然の中で過ごすか、あるいは日本人女性と結婚して平凡な一生を送るか、外国の地で、他国の女性と結婚して波瀾万丈な人生を歩むかなどである。
このように、人はその際の選択肢いかんによっては、その後の人生は大きく異なり、180度方向の違う別の人生を歩むことになる。それゆえ、人はよく
「あのとき別の選択をしていたら、さぞかし違った人生を体験したことだろうな〜」と、考えることがあるのだ。
しかし、『天国を旅するスーザンからのメッセージ』(中央アート出版社刊)には、人は別の選択をした場合の人生もパラレルワールド(並行宇宙)で同時に体験することになるので、死後に、そうしたすべての人生体験を知ることが出来るということが書かれていた。
どうやら、人間は自分の人生の岐路に差しかかるたびに、意識の一部が分離して別の選択肢の人生も同時に体験しているようである。もしそうだとしたら、
都築氏が知らされたB1、B2、B3・・・・・の存在は、彼の意識が分離して体験している別の人生の姿だったのではないだろうか。
そうした見方も、可能性の一つとして考えられるように思われるのだが、いかがなものだろうか。ただ、この考えは私の仮説に過ぎないので、そんな考えもあるかもしれない程度に軽く聞き流しておかれた方が宜しいかもしれない。
いずれにしろ、そうしたときのB1、B2、B3 が歩む世界は、あくまでこの世と同じ条件の世界であるから、3次元世界とあまり波動の違う世界ではなさそうである。それでは、そういったこの世に瓜二つの世界はどのような形で、この世と共存しているのだろうか?
そうした世界はやはりスーザンからのメッセージに書かれていたように、この世界に並行するわずかに波動の異なるパラレルワールドなのだろうか? それとも
パラレルワールドとは別世界で、想念が作り上げた実際には存在していない架空の世界なのだろうか? しかし、B1、B2がこの世に何度も出現していることを考えると、
実際に形のある世界のように思われるのだが。
どうもその点が今の私にはもう一つ理解できないところである。パラレルワールド間の移行だけでなく、都築氏が考えているように、タイムトラベルに出てくる「時間移動」なども併せて考えないと、理解できないのかもしれない。
この点は、次ぎにペトル・ホボット氏が来日した際にでも聞いてみようと思っているが、それにしてもなんとも不思議な体験談である。
ところで、都築氏の分離した意識、つまり別の人格B1、B2、B3は通常ではあり得ないはずなのに、なぜこの世にしばしば出現し、長い時間を過ごすことが出来たのだろうか? また、彼らは今もなおこの世界への出入りを続けているのだろうか? 次回は、その謎を解く都築氏の少年時代のUFO体験についてお話しすることにしよう。