改めて知る米国のカルマの大きさ
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写真@ ベトナム戦争で枯れ葉剤を蒔く米軍(NHK・BS1「Asia Insight」より)
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1960年に始まり15年間の長きに渡って続いたベトナム戦争。 その終結から40年が経過した今もなお、戦争の後遺症に悩み続けている人々がいる。 北ベトナムと対峙する南ベトナムを支援した米国が終結の見込みが立たない戦況に苛立ち、北ベトナムに対して使用したのがとんでもない爆薬「枯れ葉剤」であった。
当時、北ベトナムの兵士として戦場に赴いていたダオ・ダン・ティエット氏(現在63歳)は、戦闘中に上空で蒔かれた枯れ葉剤を浴びた一人であった。「濡らしたタオルで鼻を押さえたが、苦しくて耐えられなかった」と
当時の状況を語っている。 その後に訪れたとき、兵士たちは広大なジャングルの木々の葉が一枚もなくなっているのを見てギョッとしたという。
しかし、彼らはそれが武器として使われた恐ろしいダイオキシン入りの枯れ葉剤という毒薬であることなど知るよしもなかった。 戦後、自宅に戻り生活している中で、
ダオ氏はB型とC型肝炎や腎臓病を発病、それが枯れ葉剤によるものであることを知ったのは、長く病に苦しみ続けた後のことであった。
その後、結婚し産まれた長女は成長しても歩く事も、話す事も出来ないまま8歳で亡くなった。 体はコビトのように小さいままであった。 同じ頃から
元兵士の仲間たちの間にさらに恐ろしい事態が発生し始めていた。 枯れ葉剤による障害が兵士本人だけでなく、子供たちにも現れ出したのだ。
枯れ葉剤による親から子への第2次感染である。
あちらこちらで目のない子供や知的障害の子供、さらには、双頭児の子供や首が頭と同じほど太い子供などの奇形児や身障者の子供が次々と生まれ始めていたのである。
(写真B、C) 読者も記憶しておられるだろう、下半身がつながった結合双生児の兄弟
・ベトちゃんドクチャンを。 二人は枯れ葉剤の恐ろしさを世に伝えた代表格的な子供であった。(写真A)
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写真A ベトちゃんドクチャン
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ダオ・ダン・ティエット氏の家ではさらに不幸は続き、長女が亡くなった後、長男のソン君にも軟骨の形成に異常が生じ、関節が激しく痛み歩く事も出来ない症状
が現れ始めた。 その時の痛みについて、現在32歳のソン氏は「身体中に何百本もの針を刺されているようであった」と語っている。
テレビを見ていた私は折りしも腰の激痛で苦しめられた直後だっただけに、この話を聞いたとき一瞬脂汗が流れた。
こうした難病を持った子供たちはそのまま手当も出来ぬまま放置されていたが、1991年になって、ドイツのNGOが支援に乗り出し、ハノイなど8ヶ所に平和村と呼ばれる医療看護施設を提供することとなった。 その施設で8年間にわたってリハビリを続けたソン君は、痛みから解放されて歩けるようになり、教育も受けて今は平和村の職員として枯れ葉剤の後遺症に悩む子供たちを支援している。
(写真D)
「ベトナム枯れ葉剤被害者協議会」がこれまでに被害者として認定した枯れ葉剤被害者の数は300,000人に達しており、今もなお増え続けている。
被害者は第1世代である親や第2世代の子供だけでなく、第3世代の孫まで広がっており、さらに第4世代のひ孫にも疑われるケースが発生しているのである。
米国が蒔いたカルマの大きさがどれほどの物か分かるだろう。 彼らは第2次世界大戦で広島や長崎に住む、何の罪もない子供や女性など30万人の人間を、原子爆弾という悪魔が使う武器を使って死に追いやっただけでなく、その後の戦争でもまた、こうして罪のない人々を何代もにわたって苦しめ続け
て来たのである。
米国という国家とその国民が背負ったカルマの大きさを考えれば、かの国の近未来に待ち受けている世界がいかなるものか想像できるだろう。 今米国を襲っている自然災害や人種間の争いがその前兆であることは、HPに記してきた通りである
が、これから先、カルマ刈り取りの本番に突入した際の壮絶な状況を想像するだけで、心が震えてくる。
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写真B |
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写真C |
米国が第2次世界大戦後も、世界各地で起きてきたありとあらゆる戦争に参画してきたことは、ご承知の通りである。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争
・・・・・・。 3次元的には大義名分が立つかもしれないが、高次元世界から見たらカルマのまき散らし以外の何物でもない。
どこの国、全ての民族も大小は別にして、みな同様なカルマを背負っていることには変わりはないが、米国が背負ったカルマの大きさは別格である。
米国はこれから先その巨大なカルマの刈り取りに取りかかることになるのだ。
この記事を書きながら強く感じたことは、先の大戦で我が国が敗戦した裏には大きな意味があったことだ。 もしも勝利して世界の覇権国を目指すようなことになっていたら、米国と同様、おのれの力を過信し
、各地の戦争に参加してカルマを背負い、国家滅亡への道をたどっていたに違いない。 敗戦国となるにはなるなりの深い意味があったのだ。
長い間苦しみの中で生き抜いてきたソン君は今32歳、二人の子供に対する不安を抱えながらも明るく元気で暮らしておられる。 次男には枯れ葉剤の後遺症が発生し始めているが、テレビのインタビューに対して彼の口から
は、一言も恨み事や愚痴は出なかった。 彼の語った言葉をお伝えしよう。
「誰を恨んでも何も良くならない、どのような体であろうと、産まれたこと自体が幸せなのだから」「皆さんに一つだけお願いがあります。 この世界に戦争が必要だなんて考えないで下さい。 僕たちが体験した事は他の誰にも起きて欲しくありません
」
自分たちの欲望を達成するために戦争を次々と起こす輩たちが、これから先どんな世界に行くことになるか想像してみて頂きたい。 そこは地獄が天国に
見えるような世界であると言われている。さらにその先に待っているのは、「人の世」ではない「物の世」つまり、「塵(チリ)の世界」である。
それにしても、ベトちゃんドクチャンを産むことになった枯れ葉剤を蒔いたのが戦勝国・米国である一方で、ベトナムに平和村という枯れ葉剤の被害者を救済する施設を造ったのが敗戦国ドイツなら、ベトちゃんドクチャンの切り離し手術が敗戦国日本の病院で為されたことは、なんともはや不思議な巡り合わせである。 読者は自分の産まれた国が、敗戦国日本であったことを幸せと思いませんか。
(本記事は、NHK・BS1「Asia
Insight」の放送を参考に記さして頂いた)
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写真D
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