急増する若者の殺人事件の背景
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ブラッドムーン(血の月)
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昨今、世の中が様々な面で異常になって来ていることはご承知の通り。 記録的な自然災害、民族間や種族間の争いだけでなく、人心の乱れによる殺傷事件の頻発など、日に日にその異常
さの頻度と度合いが増して来ている。 我が国で発生している若者による殺人事件もその一つである。 こうして点については、これまでHPで
取り上げることは少なかったが、今回はそのその恐ろしさの実体を認識してもらうため記すことにした。
数ヶ月前に発生した名古屋の女子大生の殺人行為。 警察官から殺害の動機を聞かれた女性は「かねてから人を殺してみたかったから」と答えていた。 これには驚かれた方も多かったことだろう。
これまでの殺人事件、その動機の多くは「憎しみ」や「金銭的」なものがほとんど。 70年を越す人生を過ごして来た私だが「人を殺してみたくて殺害した」などという犯行動機は聞いたことがない。 それも生活に恵まれ女子大に通っている若い女性による殺人となると、まさに前代未聞である。
そんな驚愕的な殺人事件以降も若者による殺人事件はますます増加する一方。 ここ数日伝えられるニュースを見ていると、加害者の年齢はさらに下がって高校生や同年齢の若者による殺人事件が多発して来ている。 我
の住む山梨県の富士河口湖町の住宅で、80歳代の夫婦が遺体で見つかった事件、山梨県警は被害者の孫に当たる地元の県立高校3年生の少年〈18歳)を殺人容疑で逮捕、少年も殺害を認めている。
動機についてはまだはっきりしていないが、今朝の地元紙を読むと殺害に使った包丁は事前に準備したと供述しているところをみると、計画的な犯行であった可能性が強いようだ。 さらに衝撃的であったのは、臓器に達するほどの深い傷があることから少年に強い殺意があったと思われることである。
成長の盛りの子供と両親とのいざこざはよくあることだが、祖父母と孫との争いというものはざらにあることではない。 ましてや孫が祖父母を殺すなどと言う事件は聞いたことがない。 近くの住民によると、少年は祖父母にかわいがられていたようなので、一体何があったのだろうか。
この事件の翌日には三重県の伊勢市で市内の高校に通う女子高校生が同級生の男子生徒によって殺害されるという、驚くような事件が発生した。 逮捕された少年は「被害者に殺人を頼まれ、殺害に使った包丁は自宅から持って来た」と話しているようである。 少年の自白が真実だとすると、女子生徒は自殺願望があったのかもしれないが、その願望を果たしてやろうとする少年の行為は容易に理解できるものではない。
生命エネルギーの照射
私が今回異例とも思える記事を記したのは、こうした若者による殺人事件が多発してきている背景には、講演会や著書だけでなくHPでも伝えて来ているように、近年、銀河の中心から放射されている「生命エネルギー」によって、人間の心の「素」が表面化し
始めて来ていることを、改めて読者に知って欲しいと思ったからである。
人間は日常生活を送っている中で、様々な事柄を思いつくものだ。 時には人を殺してみたいと思うことも、自殺願望もあることだろう。 しかし、そうした行為を実行に移すことは周囲の状況や社会常識からストップがかかるのが通常である。 しかい、「心の素」が表面化してきている昨今、その思いを抑えきれない状況に遭遇する機会が増えて来ているのである。
そんな心につけ込むのが邪悪な心を持つ不成仏霊や魔界から逃げ延びてきた悪霊たちである。 地球自体が5次元に向かってアセンションを始め出している今、彼らの住む幽界や魔界は急速に消滅を始めている。
そうした世界から霊界に旅立つことが出来ない霊たちは、行き場を失って再び地上界に戻り、おのれの意思を行動に移すために心の乱れた人間に憑依しようと虎視眈々と狙っているのである。
そうした邪悪な霊たちに憑依されたら心を乗っ取られてしまうため、普通の生活を送っていながらも、自分の意思とは関係ない行動にかられることとなるのである。 多くの事件で逮捕された後の凶悪犯たちが、まるで他人の為した行為のように、淡々としているのは、それゆである。
今、街の中にはこうした沢山な邪悪な霊たちがうようよしている。 彼らに飛び込まれないようにするには、憎しみや妬みの心、強い物質的な欲望を出来るだけ持たないことである。 和宙君の切り絵展で5尾の尾を持つ京都伏見稲荷大社のお稲荷様が、「冷静な心」の必要性を説いておられたのはそれゆえである。
いつも徳乃蔵に来られた方にはお話ししているように、大事なことはこれからは一日一日をいかに穏やかな心、冷静な心で過ごすかである。 明るく楽しく、笑いの
ある日々を過ごすことが何よりも大事であるが、それだけではだめだ。 今地球と人類が進もうとしている実体をしっかり学び心の準備をした上で、
徳積みをしておくことが必要である。 徳積みによって得られた聖なるエネルギーは、邪悪な霊を寄せ付けない強い力を持っている
からである。 読者におかれてはその点を心に留めておいて欲しいものである。
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