中国の未来
王朝滅亡の歴史が語る共産党政権の崩壊
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2200年前、中国大陸に勃興していた7つの国を一つに統一し、強大な国力と
軍事力を手に入れた「秦」王朝は、始皇帝亡き後わずか15年で滅亡している
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中国人のあまりの品行の悪さと官僚の汚職、腐敗のひどさに、かっての栄華は何処に行ってしまったのかと思っておられる方が多いのではなかろうか。 しかし、それは孔子や孟子の教えから描かれたイメージが中国という国や中国人を美化してしまっているからである。 実はそれは錯覚で、かの国は今も昔もなんら変わってはいないのである。
皇帝一族や官僚たちによる汚職や腐敗は太古から続いており、次々と誕生した帝国はどれもみな皇帝とその一族による、国家の私物化と富の独占によって栄華が保たれてきたのである。 その結果、帝国の末期には貧しい流民が大量発生し、彼らの不満を起爆材にした武力による政権交代劇が繰り返されて来たのである。
それゆえ虐げられてきた民は次第にずるがしこくなり、孔子や孟子の説く道徳や礼儀を身につけることの出来たのはほんの一部の人間で、多くの民は自分さえ良ければの自己中心的な考えで生きていくところとなったのである。
最近出版された『死に体・中国の宿命』
(宝島社刊)という本を読むと、改めてその実体を知ることが出来る。 読者にもお薦めする一冊である。 そこには、秦王朝から始まって唐王朝の時代に至るまで
の2000有余年、現在の共産党政権と同じ官僚たちによる汚職、腐敗が幾度となく繰り返されて来たことや、世界の人々が等しく感じている中国人の品行の悪さとずるさの要因を知る手がかりが記されている。
中国史が伝える漢民族の歴史
秦の始皇帝が周辺の6ヶ国を滅ぼして、中国最初の統一帝国を建国したのが紀元前221年。 始皇帝が残した巨大な墓などを見ると、統一帝国のパワーの凄さを感ぜずにはおられないが、その帝国は建国からわずか15年で、項羽
や劉邦らによって紀元前206年に滅ぼされているのである。
その後、前漢、後漢、晋、隋、唐、宋、元、明、清、中華民国と続き、1945年に現在の「中華人民共和国」が誕生。 その間の各王朝の歴史を調べてみると、
統治期間は唐の292年、清の267年、明の259年などを除くとそのほとんどが何十年程度で、隋などはわずか32年で滅びているのが分かる。
なにゆえ巨大帝国がそれだけの短期間で崩壊してしまったのかというと、
@ 皇帝一族による国家の私物化、富の独占
A 皇帝や官僚の人民奴隷化政策による流民の大量発生
B 知識人の離反
などが大きな要因となっていたようである。 こうした要因が重なって、隆盛を誇っていた王朝は次々と崩壊していったのである。
そうした帝国崩壊の歴史を知った上で、1945年に毛沢東によって成立された共産党帝国、「中華人民共和国」の70年の歴史を振り返ってみると、「権力者による私物化」「流民の大量発生」「知識人の離反」といった、かっての帝国崩壊の要因が、現在の中華人民共和国内部にも蔓延していることに気がつく。
共産党帝国崩壊のカウントダウンは始まっている
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周近平主席以下7人のメンバーが壇上に上るのはいつまでだろうか?
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どの帝国においても敵対する勢力や流民の大量虐殺は行われてきているが、毛沢東最後の10年の文化大革命時代においても、毛沢東という独裁者一人の権力維持のために数千万人の人々が命を奪われ、億単位の人民が何らかの形で政治的迫害を受けていたのだ。 まさに毛沢東による「権力者による国家の私物化」によって阿鼻叫喚の暗黒時代が発生していたのである。
毛沢東亡き後、ケ小平が推進した「改革開放路線」による民主化政策によって、なんとか中華人民共和国の崩壊は免れたものの、その後、民主化政策は官僚たちによって悪用され、中国史上空前の「腐敗の時代」
が始まることとなったのである。
私利私欲のために権力を乱用した共産党幹部が得た賄賂(わいろ)は膨大で、先般収監された共産党元政治局常務員・周永康とその一族による汚職額は、なんと1000億元〈1兆7000億円〉に上ったと伝えられている。
現在、周近平政権によって官僚の汚職摘発が行われているが、対象となる官僚の数は膨大で、いま中国では次のようなジョークがはやっている。 「局長クラス以上の幹部に全員死刑を言い渡したら
免罪者〈罪がなくて罰せられる人)が出てくるが、その数を半分にしたら漏れが出てくる
」。 腐敗の蔓延はそれほど深刻な状況になっているのである。
王朝崩壊の3つの要素の一つ「権力者による国家の私物化」については理解できたことと思うが、次なる「知識人の離反」
もすでに始まっており、その第一弾となったのが、1989年初夏に民主化を求めた学生や知識人によって引き起こされた「天安門事件」である。 とりあえず解放軍部隊の出動で政権崩壊は免れたが、今、腐敗政治に対する弁護士たちの抗議行動や香港における学生デモは、新たな知識人による離反行動を生みだそうとしている。
問題は3番目の「流民の大量発生」であるが、「影の銀行」の倒産や株式市場の崩壊による一般市民の財産消滅がこれから先本格化した時、あるいは心の救いを求めるキリスト教徒への迫害などが本格化した時には、共産党政権から人心は離れ、
周近平体制への不満が臨界点に達することになる。 そして、その時が刻々と迫って来ていることは、これまでのHP記事を読んでおられる読者には十分にお分かりだろう。
秦の始皇帝の帝国成立から2200年が経過した今、最後の帝国となる「中国共産党」崩壊へのカウントダウンはすでに始まっているのだ!! それを熟知している周近平政権が最後の拠り所としているのが、不満分子の目を国外に向けさせるることであり、その最大の狙い所が我が国やフィリピンなどとの領有権紛争である。
そのためには先に行われた「抗日戦争勝利70周年」式典は、周近平政権にとっては重要な意味があったのだ。
だからこそ、式典直前に発生した天津爆発事故は、爆発の原因や危険物の拡散状況がうやむやにされたまま今日に至っているのである。
中国共産党崩壊は太古の石に刻まれていた
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中国共産党崩壊が刻まれた巨石。中国の「国」文字には「國」が使われている
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ブログ「EPOCH
TIMES」に掲載された「中国共産党崩壊」と読める文字が刻まれた2億7000年前の石についての記事が、「In
Deep」で紹介されていた。
その記事を参照させて頂くと、この石は500年ほど前に断崖から落下して二つに割れたとされる巨大な石で、大きさは長さ3メートル、高さ7メートル、重さ約100トン。刻まれている文字は約30センチ四方の大きさだというからかなり大きな字体である。
問題は石の断面に刻まれた「中国共産党崩壊」を意味する「中國共産党亡」という文字である。 発見されたのは2002年で、場所は中国南西部の貴州省の山奥の景勝地で、発見者は現地の清掃作業員。 当時中国の主要メディアはこのニュースを一斉に報道、しかし、最後の文字「亡」は除いた形で紹介されたようである。
中国科学院や中国地質大学の専門家13人の共同チームが分析に当たった結果、まわりの石の成分からこの石は二畳紀時代の2億7000万年前のものと判断されたようである。また、この石に刻まれた文字には人の手による加工の跡はなかったとされている。
「EPOCH
TIMES」には、これだけ明瞭な文字が自然に掲載されたとは考えにくく、判断は読者にお任せすると記されているが、なんとも不思議な石である。
ただ発見当時、中国のメディアが報道したことや調査に当たった学者が人工的なものでないことを認めていることを考えると、いい加減なものでないことは確かである。
ペルーの砂漠で発見されたカブレラストーンの年代測定に、地質学者と共に関わった私から言わせてもらうと、詳しい年代は別にしても、何年とか何十年以内に人間の手が加えられたものかどうかの判断は、間違いなく出来ることは確かだ。 したがって、研究者の「人の手による加工の跡はなかった」という鑑定結果は素直に受け入れるべきだと思われる。
中国共産党が滅びると書かれたこの石の存在を、中国の主要メディアが報じたことが不思議である。 もしかすると、発見当時は「亡」の意味を、中国共産党が他国を滅ぼし
、世界の覇権国となると解釈したのかもしれないが、亡の字を除いて報道したことを考えると、それもあり得ないような気がする。
いずれにしろ、現在の崩壊に向かっている習近平政権の有様を見ていると、「亡」の意味が中国共産党そのものの崩壊であり、滅亡であることを我々は遠くない内に目することになりそうである。
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