情報管制下のオリンピック
オリンピック開催前から敷かれた報道規制は、各国のマスメディアから強い不満と不信感をもたれていたが、開催以降、その傾向は一段と強まり、まるで戦時下の情報統制のよう
だという意見が多くなってきた。
日本のテレビや新聞が伝える情報を見聞きしている限りでは、オリンピックの各競技も順調に進んでおり、テロや暴動も発生せず、13億を超す中国国民が一丸となってオリンピックに傾注しているように見えなくもないが、事実はそれとは大分かけ離れた状況にあるようだ。
新疆ウイグル自治区では先に32人の中国国境警備の警察官が殺傷されるというテロがあったばかりだが、その後もバスの爆破事件など何件かのテロや暴動が発生しているようである。中でも10日未明に南部の重要都市クチャ県の中心地区で連続して起きた爆発事件は、BBCが伝えるところでは、爆発音の後
、強烈な火の手が上がり、さらに数発の銃声が聞こえたというから、かなりの犠牲者が出たようである。
しかし、現場がすぐに警察により封鎖され、その後の情報が完全に遮断されているので、実体を把握することが出来ないままである。
上海でも15日に、金融街を抜けようとしていた公共バスが突如大音響と共に爆発し、火災が発生、乗客30数名がかろうじて逃げ延びるテロ事故が発生している。上海では5月にも公共バスが爆発し15名の死傷者が出たばかりである。
こうしたテロや暴動は日本のマスコミではほとんど報道されないので、インターネットなどで知るしか手がない。しかし、先日、現地にお住まいの日本人の方から頂いた情報を見て、
報道規制の凄さと、実際には大小様々なテロや暴動が発生していることを実感するところとなった。
教えられた中国語のブログを開くと、そこには、8月6日に中国、北京の長安街で昼の12時と、午後4時半頃に2件の爆弾テロが発生し
、昼の事故では、乗客の女性が右足を切断する事態に至ったという記事が掲載され、併せて、退役軍人がデモに参加しようとして当局へ許可申請をしようとしたものの、拒否されたという内容が掲載されていた
。
ところが、このニュースは中国大陸内では既にアクセス不可能になっているということであった。これでは、外国でこの種の事件を知ることは難しいわけ
である。
この一つの事例だけでも、中国政府にとって不都合なニュースはすべて削除されていることが明らかである。裏返せば、政府が人民の暴動やテロの広がりを、いかに恐れているかが分かろうというものである。
ありもしない事故やテロを記事にしたのならいざ知らず、実際に発生しているものの報道を規制することは、国民の自由や権利を尊重する国家なら許される行為ではない。こうした行為はどこの国でも多少は行われていることであるが、ここまで徹底すると、国家の権力乱用もいいところである。
10路線の公共バスの爆発後の現場、自動車の後部には大量に消火剤がまかれている。
治安総動員と密告制でもなお防げぬテロや暴動が続けば続くほど、政府に異議を唱える多くの人々に対する厳しい弾圧が一段と強まっているようである。
フランスを訪問しているダライ・ラマが8月16日、北京五輪開催中にもかかわらず、中国では依然としてチベット人たちが虐待を受けていると指摘したことが、そうした状況を端的に表している。
五輪開催中もチベット人は虐待されている=ダライ・ラマ
【大紀元日本8月18日】
ダライ・ラマはフランス・TF1テレビ局の取材で、五輪期間中は停戦するという伝統は尊重されているかという質問を受けた時、「非常に不幸なことに、中国政府職員はチベットにおいてオリンピック精神を少しも尊重していない」と述べた。
また、「チベットでは情報が制限され、非常に厳しい審査を受けている」「一般市民は常に逮捕され、虐待を受け死亡している。本当に、非常に悲惨なことである」と指摘している。
(文要約)
現に北京でも、オリンピックのために不法退去処分を受けた住民が抗議をしようとしてすぐに逮捕・監禁されたり、北京の中央政府へエイズ対策の陳情に向かう途中で感染者19人が
、現地の公安警察に逮捕され監禁されている。先に述べた、退役軍人がデモに参加しようとして当局へ許可申請をしようとしたものの、拒否されたという記事も同様なことを伝えている。
河南省では、1990年代初めから、現地政権の輸血政策により、血液の売買が盛んに行われ、血液を売って生計を立てる農民が大量に現れた一方、管理・監督体制が杜撰であったため、後に大規模なエイズ集団感染が発生し、一つの
大きな社会問題となっているというから、
簡単に陳情を却下出来るような問題ではないはずである。感染者の気持ちを思うと心の痛むニュースである。
デモといえば、オリンピック開催直前に、政府が北京の3カ所の公園をデモの許可地として公表し、民主化をアッピールしていたはずである。ところが、現地の人から聞いてみると、現実には
今日まで1件もデモは行われていないと言う。そのわけは、すべてのデモ申請が当局から
因縁をつけられて却下されてしまっているからだという。
これでは、民主化に向かっているなどと、とうてい言えなくなってくるではないか。
開会式の花火の映像の一部がコンピュターグラフィックだったとか、愛らしい女の子の歌声が実は別の女の子のものだったなどという点は、お笑いで過ごせるが、
国民の正当なすべてのデモ申請を却下するなどということは、笑い事では済ませなくなってくる。デモ一つ認めないようでは、
かっての共産中国そのままではないか。これでは、オリンピック開催が10年早かったと言われても致し方ないかもしれない。
違和感を感じた出来事
自然に逆らった中国
開催日当日、北京に住む知人がメールで、「今日は異常に蒸し暑い、湿度は90%を超えているから夕方には間違いなく雨になる」と伝えてきていた。ところが、実際には雨らしい雨は降ら
ずに、盛大に開会式が行われた。不思議に思っていたところ、どうやらが打ち上げられた消雨ロケット弾によって、豪雨雲を遮ることに成功したようである。
日本人は人口消雨で自然を変えることには、自然と天意に反すると行為と考える人が多いと思うが、中国では幼少の頃から、「人は必ず天を克服する」と教育されているため、こうした行為をなんとも思わないようである。
私は、開会式の1週間前のリハーサルの日に強い雨に見舞われたのを見て、天は本番でも雨模様になることを告げようとしたのだな、と思った。しかし、今の中国は狭い地域なら天候を変えるぐらいの技術は持って
おり、メイン会場の雨模様を曇りにするくらいのことは不可能ではないはずだ。だから、きっとそうするに違いない。私はそう考えた。
案の定、気象情報や北京の知人が連絡してきた様子からして、開催日の夕方は雨降りの確率は非常に高かったが、中国政府は1100発もの高価な消雨ロケット弾を打ち上げて、雨の降るのを押さえてしまった。
以前、沖縄のカミンチュ・比嘉良丸氏からこんな話を聞いいたことがある。それは、神々の世界の中でも、彼らが持つ力には天と地ほどの差があり、日本の八百万の神々(やおよろずのかみがみ)といえども
、自然を操る神の前では、子供同然であるという話である。
彼が声を聞いただけでも思わず襟(えり)を正すほどだと言っている神は、自然神に近い神であるようだ。
それゆえに、昔から雨乞いなどの儀式を行うときには、その土地の神や国の神を仲立ちにして、大神(自然神)に祈願してきているのである。それを今回は、神々の力には一切頼らずに、「人力」(じんりょく)をもって自然神の考えに逆らった可能性が高いわけである。共産主義というのは神の存在を一切無視しているのだから、至極当然のことである。
スーパー・パワーを持った自然神が
中国の過去のカルマや未来を見据えた上で、もしも、北京オリンピックの開催式は雨、それも相当の豪雨となるのを良しとしていたとしたら、その神の意向に逆らった反動は必ず発生するのではないだろうか。
良かれ悪しかれ、その行為は因(原因)となり、いつかは果(結果)を生むことになるはずだ。それゆえに、天の意図を無視して、雨の天気を曇りや晴れにした因(行為)が、予期せぬ雨や豪雨という果(結果)を生むことは十分にあり得ることだ。もしかすると、それが想像外の大災害を引き起こすことになるかも知れない。「因果(カルマ)の法則」とか「因果律」と呼ばれている、宇宙に普遍する絶対的な法則を犯すことの恐ろしさはそこにあるのだ。
人間界から見れば、国の威信をかけた祭りの日である。雨を曇りにして何が悪いと言うことになるのだろうし、ましてや、中国では「天を克服するのが人の努め
」と教えられているだけに、なおさらそう考えるに違いないが、天から見たら,所詮(しょせん)それは人間のご都合主義に過ぎないのではなかろうか。
農作物に多大な被害が出るとか、多くの人命に関わるという時ならいざ知らず、国の威信に関わるとか花火の打ち上げに都合が悪い程度では、神は納得されないはずだ。雨が降るのには降るなりの、晴れるには晴れるなりのもっと大きな理由があるはずであるからだ。その日が大事な日であればあるほどになおさらのことである。
こうした私の危惧が杞憂(きゆう)に終わって欲しいものである。
表出した中華思想
もう一点、今回の豪華な開会式絵巻を見た翌日、ニュースを見て私が至極残念に思ったのは、それぞれの民族衣装をつけて登場した56人
のかわいらしい子供たちが皆、実は漢民族だったということであった。中国政府が多くの少数民族にオリンピックへの参加意識を持ってもらうために行ったパレードだと思っていただけに、
「まやかしの花火」や「口パク少女」の偽装とは違って
、強い違和感を覚えずにはおられなかった。
恐らく多くの少数民族の人々もそれを知ったときには、なんとも言えないやりきれない気持ちにかられたのではないだろうか。
こうした人心を傷つける偽りの演出劇を見ていると、少数民族重視とは名ばかりで、漢民族中心主義
、中華思想そのものが、あからさまに顔を出したようで、残念至極である。
ところで、読者は北京オリンピックに中国が投じた金額
をご存じだろうか。海外メディアが伝えるところでは、4兆4000億を超していると言うから凄い。開会式だけでも200億円から〜300億円が投じられたようで、史上「最も高額で政治化された五輪」と言われているから、次なるロンドンオリンピックを開催するイギリスは大変である。
物々しい警備
オリンピック報道のため、北京を訪れていたマスコミの方が昨日戻って来られて話した中で、「一番驚いたことは、数台の装甲車が北京五輪ニュースセンター前に現れたことだ
」と語っていた。確かに写真で見る装甲車は平和の祭典とは相容れない異様な雰囲気が漂っている。
メーンスタジアムのわきに配備され、迎撃体制をとる地対空ミサイルと、80万人の軍人・警察
、それに100万人を超す巡回「ボランティア」(監視人)の姿を見ると、北京市は全市で「半軍事態勢」の管制になったようだった、と語っていた。
「タイムズ」紙の記者ケビン・イーソン氏が書いた中国共産党があらゆることに施したセキュリティ対策は、五輪村を強制収容所に仕立てたという「五輪村刑務所の中で」と題した記事や、インド紙「インディアン・タイムズ」の、北京は警備が厳重にされた強制収容所で、世界最大規模の競技会を主催する都市ではなく、北京五輪が持つ政治的意義はスポーツ競技より強いとした記事をを読むと、
知人の記者の話が決して誇張でないことが分かる。
ノルウェイから来たガーハードさんは、北京では至るところに警察と軍人がいて、しかも、外国人がびっくりするほど、各々が石のように硬く無表情
であった。さらに悪いことに、これらの軍人は全員武器を携帯しているから、全体的に脅威に満ちた雰囲気が漂っている、と語っ
ている。ガーハードさんの思いは、多くの外国からの観光客を代表する考え方ではないだろうか。
青島市(チンタオ)市の緑藻発生のその後
今日(8月19日)朝、NHKのBSテレビを見ていたら、チンタオ(青島市)で行われているヨットレースが放送されていた。そこには、はじめて目にするチンタオの海
が映し出されていた。有名な
観光地として知られている割には、それほど綺麗な海には思えなかったが、心配していた緑藻の姿はなく各国のヨットが快適にセーリングしていた。
しばらく、「緑藻の心配はなかったのか」と思って考え深げにレースを見守っていたところ、レース会場の外海になにやらレースとはおよそ関係のなさそうな船の姿が見え
てきた。
それも相当大きな船のようだ。それにその数がやたらと多そうである。
不思議に思って見ていると、レースの解説者が「あれが緑藻を除去する船です」と言っていたので、除去作業は今でも行われているのだと分かった次第である。その後、注意して見ていると、テレビ画面に、競技委員の乗った船とは桁違い
に大きい巨大な船舶が20数隻も姿が映り出された。画面で見えただけでもそれだけの数なので、実際には30隻を超す船が出動しているようである。これが噂に聞く人民解放軍の海軍
の船舶であろうか。
さらに気づいたことは、ヨットレース場と撤去船との間に長大なネットが張られ、それによって緑藻が海岸に流れ着くのを防いでいることであった。私のHPを見ておられる中国在住の日本人の方から、昨日、ヨットレースが14日、16日、17日と3日間、なぜか午後のレースが中止になっているという情報が寄せられた。
ヨットレースは風がなくなると中止されることがあるようだから、凪(なぎ)のためにとられた処置かとも思われるが、もしかすると、午前中のレースが終わった後に、何らかの原因で外洋の藻が流れ着
いたために、午後の競技が中断されたのかも知れない。いずれにしろ、30隻前後の巨大船が外洋で待機し続けていることと、ネットが張り巡らされていることを考えると、レース開催中の今も、チンタオの海が緑藻の襲来から完全に解放されていないことは確かなようである。
どうやら、中国の保持する巨大な海軍力と人海戦術によって、レース開催日までぎりぎりの除去作業が続き、開催期間中も夜を徹して除去作業が続けられてきたことは間違いないようである。だからこそ、開催日直前まで会場の封鎖が続き、それを隠すために、胡錦涛主席のチンタオ訪問の偽情報が流されたものと思われる。
ただ気になるのは、大紀元社が伝えた感染症問題である。平然とレースが行われているところを見ると、近隣の住民や選手たちに影響を及ぼすほどの心配はなさそうに思えるが、嘘(うそ)を真(まこと)で押し通すお国柄であることを考えると、100%不安が消えたと考えるわけにはいきそうもないようである。
中国政府の政策を快く思わない大紀元社とはいえ、十数万の患者と17人の死者が発生したと報じているのだから、感染症の発生がまったく根拠のない話ではないように思われる
。それだけに、「火のないところに煙は立たず」の感がぬぐえない気持ちである。