中国の真の姿を垣間見せた「四川省大地震」
ミャンマーの大型サイクロンとチリのチャイテン山の噴火のニュースを取り上げた矢先、中国四川省で巨大地震が発生した。先ずは、不虞の死を遂げられた多くの御霊(みたま)に祈りを捧げ、被災者の皆さんに心からお悔やみを申し上げる。
被災地の惨状をテレビで見ると、今回の地震はかってなかったほどの巨大な地震であったことが分かる。死者・生き埋め・行方不明者の数は、すでに明らかになっただけでも7万人を超しており、最終的
には10万人に達するのではないかと思われる。
震源地、アバ・チベット族チャン族の自治州である「汶川県」(ぶんせんけん)に入った中国国営テレビは、山間部の村落の建物の崩壊状況を「村が平らになったようだ」と伝えている。
動いた断層の長さが300キロ(東京〜名古屋間)で阪神大震災の40キロに比べると7・5倍、放出されたエネルギーは30倍というからその凄さのほどが分かる。この史上希に見る巨大地震の激しい揺れを前にしては、土壁や日干し煉瓦造りの建物などひとたまりもなかったに違いない。
今回の地震で目を引いたのが、学校の崩壊と子供たちの惨状を伝えるニュースで、14日の朝日新聞に掲載された一枚の写真には、とりわけ心が痛んだ。それは学校倒壊で建物の下敷きになって亡くなった子供の手を握りしめ続ける母親と思われる家族の写真だ、じっと見つめていると、紙面から母親の慟哭が聞こえてくるようで、たまらなくなってきた。
我が国では、地震にしろ洪水にしろ、その被害者たちが身を寄せる避難所と言えば、それはたいてい学校の体育館である。ところが、今回の被災状況を見ると、学校の校舎が粗末な民家と同じように崩壊しているのに驚かされた。その近くにある町や村の庁舎が被害が少なく、崩れずに残っているのを見ると、何か違和感を感ぜずにはいられない。共産主義体制の下に隠れた党や党員優遇の姿が垣間見えたようある。
また今回の地震は、貧しい人々の住む農村部と富裕層の暮らす都市部との間に横たわるあまりにも大きな格差と、そこから生じた社会のひずみのひどさをあぶり出して見せてくれたようある。
10パーセントを超す長期的な経済成長が、一方ではこうした弱者放置の問題を発生させていることを共産党と政府は、長い間隠し通して来ていた。さらにその上に蓋(ふた)をして、この問題を世界の人々の目をそらそうとする試みの一つが、他ならぬ北京オリンピックの誘致であったわけである。
北京の周辺の農村地には、3つの巨大な貯水湖が造られているが、そこに蓄えられた水は、地元の農民たちの利用を一切禁止し、すべてオリンピックの主要会場となる北京へと送られている。
昨年の夏、温暖化による異常高温と干ばつで、野菜や家畜に与える水に困窮した農民たちが、湖岸に立って満々たる湖水を恨めしそうに眺めていた姿が思い浮かんでくる。それは、オリンピック成功の大儀のために堪え忍んでいる彼らの堪忍袋の緒が、いつまで保つのか心配になってくる光景であった。
北京オリンピック中止の可能性
沖縄のカミンチュ・比嘉良丸氏と繋がった神々が、戦争好きなアメリカにこれ以上中東に戦争を仕掛けさせないために、大災害の発生を起こそうとしていることは、拙著『祈りの島「沖縄・久高島」』で述べた通りである。
恐らく今年の年末あたりから、アメリカでは悲惨な自然災害や人的事故が発生し始めるのではないかと思われる。実は、著書の中では書かなかったが、これからの世界情勢の流れの中で、比嘉氏はアメリカで巨大災害が発生する前に、中国、インド、東南アジアで同様な大災害や暴動が発生することを知らされていた。
中でも北京オリンピックを迎えようとしている中国が遭遇することになる天災・人災は想像を超える規模で、それはオリンピックの開催を阻止するためのものであるように思われる。神々がなぜ北京オリンピックの開催を阻止しようとしているのには、幾つかの理由が考えられるが、その一つとして挙げられるのは、中国がこれ以上急激な経済成長を続けることは、中国人のみならず人類にとっても決して喜ばしい結果をもたらさないことである。
もしも、このままオリンピックが大成功裏に終わり、さらに数年先の世界万博へと突き進むようなら、中国の地では、自然破壊は一段と進み、公害がまき散らされ、貧富の格差が広げられ、そう遠くない内に、中華思想に基づいた世界覇権の野望が生まれる可能性が大きいからである。最後の問題は、最近の軍事費の増大さを見ればおよそ想像がつく。
こうした事態を神々は案じているのだ。案の定、今年に入るやいなや早々に神々の計画が実現し始めた。1〜2月には、中南部で希に見る大雪と大寒波が発生。100人を超す死者と35万棟の家屋が倒壊。道路や鉄道がマヒし、旧正月を故郷で迎える出稼ぎ労働者の数千万人が帰省の足を引っ張られことになった。
また3月中旬には、チベット自治区ラサで、共産党・政府に対する僧侶や市民の抗議行動が激化し、商店や学校が破壊され、武力鎮圧によって多数の死傷者が出た。その結果、3月下旬から4月にかけ、中国政府のチベット対応を巡り、ギリシャでの北京五輪の聖火採火式が妨害され、以降、パリやソウルなど各地で、聖火リレーへの妨害や抗議が相次いだことは記憶に新しいところである。
そして5月に入って起きたのが、今回の四川省大地震というわけである。私には、こうした異常事態が偶然の重なりだとは到底思えない。神々の大いなる力が裏で働いていると考えるのが正解のようである。
私は、かねてから講演会などで北京オリンピックは中止になる可能性が大きいと述べてきたが、その発言の裏には、こういった背景があったからである。
現時点で眺めてみても、いくら人口が多い国とはいえ、被災者の数が1000万を超していることを考えると、決壊寸前のダムの処置の問題、蔓延が危惧される伝染病対策の問題、数百万人に達する人々の住まいの問題、農業や畜産の場を失った人々の救済の問題
・・・・・ といった後処理のメドが立たない状況下で、オリンピックという一種のお祭りが開催されることには無理があるように思われる。
共産党や政府はメンツにかけても何が何でも開催しようとするに違いないが、もしも開催を強行し、政府や国民の目が一時でも被災者から離れるような事態が生じたら、家族を失い、生活苦にあえぐ数千万の被災者の不平や不満が、一気に暴動に発展する可能性は決して小さくないように思われる。
すでにここ数年来続く「干ばつ」や「洪水」による被害者の数が相当数に達していることは、私のホームページで「中国レポート」を見ている皆さんは既にご承知のはずだ。
先述した北京周辺の農民の例でも分かるように、こうした被災者たちの不平不満が、大きくなってきていることを考えると、地震被害者の暴動がこうした人々の暴徒化に火をつけることは十分いあり得ることだ。
実は、私がオリンピックの中止を強く懸念しているのには、もう一つ理由があるのだ。それは、現在の窮状(きゅうじょう)に追い打ちをかけるように、6月23日の夏至の直後に懸念されているさらなる危機である。
その危機が暴風雨や地震などの自然災害になるのか、人為的な暴動になるのかは定かでないが、その規模が大きなものとなる可能性が大きいだけでなく、発生場所がオリンピックのメイン会場である北京か天津になる可能性が大きいようである。もしもそれが現実となったら、場所が場所だけに、もはや北京オリンピックは完全に開催不可能となるに違いない。
一方で、ご承知のようにジュセリーノ氏はオリンピック直後の9月13日の中国、海南島付近のマグニチュード9・1の大地震を予知している。その時には、100万人を超す死者が出るというから、今回の四川省の地震をはるかに上回ることになることは間違いない。
また一方で、10月には水不足による混乱によって経済が大打撃を受け、2010年には現在の経済制度が崩壊に追い込まれることも予知している。
もしもこのような出来事が現実となって、追い打ちをかけるような事態になったら、低所得者たちの食糧高騰による生活苦や格差社会に対する不満が一気に爆発して、各地で本格的な暴動が発生する可能性はさらに大きくなってくる。
実は、私の知るある女性が、北京に次ぐ主要都市である上海(しゃんはい)市の周囲を人民解放軍の兵士たちが包囲し、人と車の出入りを遮断している光景を幻視している。それは、食糧危機か経済危機が発生し、暴徒化した人々が上海市内に乱入するのを阻止するためにとられる都市封鎖のシーンではないかと思われる。
ところで、昨夜のニュースでは、国連の発表で250万人を超したとされるミャンマーの被災者に、さらに追い打ちをかけるように暴風雨の被害が発生したようである。中国でもダムが決壊すようなことが起きたら2次災害はさらに甚大となるに違いない。
「死者にむち打つ」とはこのようなことを言うのであろうか。どうやら、地球の各地で聖書に登場する「生者が死者を羨(うらや)むような艱難」が次々と発生し始めたようである。
それにしても、被災者の救援をなおざりにし、外国の救援隊の入国を拒否し続けるミャンマー軍事政権を弁護した中国に巨大地震が発生し、背に腹は代えられぬと、我が国に救援活動を要請することになったのは、何とも皮肉な話である。
オリンピック開催という特殊事情がなければ、中国もまた、ミャンマーと同様、震災の報道は押さえられ、外国人記者の現地への取材は許されなかったかもしれない。それが軍事国家や共産主義国家の真の姿だからである。
今回のミャンマーの大型サイクロンと中国の巨大地震は、国家という一大組織のあり方に、巨大な一石を投じたことになったようである。どうやら、連続して起きた二つの巨大災害の発生の要因が見えてきたようだ。