奴隷貿易の歴史この機会に奴隷貿易の歴史を振り返ってみるのも、悪くはないだろう。
奴隷貿易と奴隷市場は、15世紀末から19世紀末まで続いていたが、この400年間で、アフリカから南北アメリカに送り込まれた黒人奴隷の数は1000万人超。単純計算で年間2万5000人に
達していた。
地球上に生きる生物は数百万種類、一説には一億種を超えるともいわれるが、この無数の生物種の中で、根拠のない「格差」が存在するのは人間世界のみである。
あなたも黒人奴隷たちが首を数珠(じゅず)つなぎにつながれ、裸で歩かされている絵を一度や二度は見たことがあるはずだ。絵の中央には女奴隷もいる。母親と思われる女奴隷は哀しそうに下を向き、それを子供が不安そうに見上げている。小さな子供には、この行進が何を意味するか理解できないだろうが、その先に待っているのは恐ろしい奴隷船
だ。
この時代、地球の大海を横断する外洋航海は、危険も大きく、コストも高くついた。そのため、奴隷商人たちが奴隷貿易の効率を上げるためには、1回の航海で、できるだけ多くの奴隷を運ぶ必要があった。奴隷たちは、身動きできないほど詰め込まれ、一寸のムダもなく、整然と並べられた。まるで
マネキン人形のように ・・・・・。
たった100トンの船に400人の奴隷を載せたという記録が残されている。当時、奴隷貿易に使われたのはガレオン船
と呼ばれる船であったが、100トンの船というのは全長が30mほどしかない。その船の甲板に400人の人間が詰め込まれた様子を想像してもらえれば、奴隷貿易船がこの世の生き地獄であった
ことが分かろうというものである。たった1平方メートルに一人が詰め込まれたのだから。
そんな劣悪な環境の中で、黒人奴隷たちはほとんどロープにつながれたまま、ろくな食事も水も与えられず、なんと9ヶ月間も過ごさせられ、その行き先には、さらなる地獄「奴隷市場」が待ち受けていたのである。
華々しいアメリカの発展の裏には、こんな残酷な歴史が存在していたのである。
アメリカ合衆国で奴隷売買の禁止令が出たのは1863年、わずか150年前のことである。
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奴隷市場の一場面
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期待の前に深い反省を
そのアフリカ系黒人の血を引く男が大統領に就任したのだから、就任式の参列した人やテレビを見つめた多くのアメリカ黒人が涙を流した
理由が分かろうというものである。彼らの脳裏を、そうした先祖たちの悲惨な歴史がよぎったであろうことは想像に難くないことである。
オバマ大統領に対する期待を寄せる前になすべき事は、アメリカ国民一人一人が今回のアフリカ系黒人大統領の誕生を機会に、自分たちの先祖が奴隷制度という非人道的な手段によって、建国の礎をつくってきた行為に
思いをはせ、奴隷貿易という非人道的な行為に対して強い反省の心を持つべきではないだろうか。
その反省がない限り、ベトナムやイラク、そしてパキスタンやアフガンにもたらしたような悲劇を、再び他の国々にもまき散らすことになるのではないかと懸念されるからである。思い出して欲しいのは、9・11同時テロの後、事の真偽も確かめずに「戦争だ!!」と拳をあげたブッシュ大統領を、歓呼の声で支持したのは、アメリカ国民
自身だったことである。何もブッシュやチェイニーだけに非があるだけではない。それを許したアメリカ国民全体にも大きな責任があるのだ。
9・11テロの真相を追求し、それがアルカイダなどによる犯行によるものではないという事を知ろうとしないばかりか、3000名余の犠牲者の名を借りて、イスラム世界にその百倍を超す数十万人の死者を発生させ、
かの地に今もなお地獄の苦しみを味わせているのは、アメリカ政府とそれを支持した国民であることを自覚しない限り、アメリカにも世界のも真の「チェンジ」
(変革)などもたらすことは不可能である。
今、世界中にテロと争いの脅威が蔓延し、人々の心がすさみ始めている。みなそれはテロとの戦いという名目の元、アフガンやイラクの地で起こした戦争やその後の終戦処理の失敗から発生したものであることは明らかである。おのれがやられたから、すぐにやり返す。それも桁違いの軍事力を持って相手を徹底的に叩きつぶそうとするその行為は、今回のイスラエル軍のそれと少しも変わらないではないか。
クラスター爆弾という非人道的兵器によって、多くのイラク人に放射能の被害をもたらしたことは、今回イスラエル軍が「白リン弾」によってガザ市区に住む多くの民間人を無差別に殺戮したのと瓜二つである。アメリカは力強いパワーと素晴らしい叡智を持っている。それだけに一端それが誤った方向に向けられたときの弊害は計り知れないほど大きいのだ。
マスコミ各紙は「アメリカの変身にかたずのんで見守っている」として、オバマ新政権の経済の立て直しや、新しい外交政策を見守っているが、それが容易でないことは明らかである。経済危機からの脱却が1年や2年でできるはずがないことは歴史を振り返れば容易に分かることである。
経済の崩壊は、まさにこれからが本番である。すでに1000兆円を遙かに超えた巨大債務を抱えたアメリカ政府ができることには限度がある。度を超した資金を投じたら、それこそ国家そのものが破綻してしまう事になる。前回掲載した、ニュー・ドラーの発行でも行わない限り、短期間での復興など到底無理な相談である。
新大統領就任のお祭りの日に、260ドル急落をした株式市場の動きが如実にそれを示している。
チェンジを掲げて登場したオバマ新大統領は、中東問題にはどう対応するのだろうか。イラクやパキスタン、それにガザの住民は冷めた見方しかしていないようであるが、本来なら就任早々、今回のイスラエル軍の暴挙に対して、厳しい非難声明を出してもいいはずなのに、一向にその気配すらない。
イスラエルの気持ちは理解できるるという、イスラエル寄りの発言しか聞けないようでは、ブッシュ政権からの「チェンジ」はあまり期待できなそうである。ブッシュ氏と同様、かねてからイスラエルよりと言われてきたオバマ氏だけに、世界が期待しているようにイスラエル政府に強い姿勢で臨
み、中東和平を推し進めることは無理かもしれない。
明らかになり始めたイスラエル軍の非人道的行為
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白リン弾とみられる砲弾の炸裂=ガザ地区(CNN
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今世界が注目し、心を痛めているのがイスラエル軍により破壊され、1300人を超す死者を出したガザ地区の人々の身の上である。イスラエル軍は今頃になってガザ地区での「白リン弾」の使用を認め
出している。何を今更の感である。
撤退後に現地に入ることができた救助隊の人々の報告によると、案じていたとおり、多くの人々が皮膚の火傷(やけど)や呼吸器系に重大な障害が発生しているようである。人口密集地で白リン弾が使われたら、
そうした被害が発生することは、分かり切ったことである。だからこそ、人道的な見地から民間人の居住する地域では、一切使用してはならないと、国際社会で固く禁じられて来ているわけである。
その事実を百も承知の上で、200発を超す白リン弾を容赦なく打ち込んだイスラエル軍の暴挙は、国連の軍事法廷で裁かれてしかるべき悪徳非道な行為
である。それを今頃になって、「不法に使用されていたかどうか調査を始める」などと言っているイスラエル政府を見ると、あきれかえってものが言えないほどである。
間近に迫った総選挙で勝利を得るためには、彼らには国際世論も国連の調停も目の中にないのだ。国連のパレスチナ難民救済事業機関の本部への空爆が
、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長の中東歴訪の最中に行われたことを考えれば、イスラエル
が国連など相手にしていないこと明らかだ。あまりに傲慢(ごうまん)過ぎはしないか。彼らの頭の中には、アメリカのロビイストを使って、多額の支援を引き出す
ことしかないのだ。
前回のHPで「ナチス化したイスラエル」を掲載したあと、今回の悲惨な結果は、イスラエル軍より先にロケット砲を打ち込んだハマスの方に責任があるのではないかという意見も寄せられた。もちろん私と
て、ハマスの愚かな判断に何も問題がないなどと考えているわけではない。
しかし、それを言うなら、あなたの小さなお子さんが隣の家の子に小石を投げつけてかすり傷をおわせたところ、突然、夜中に隣人から放火され、家を焼かれたばかりか家族の多くを失うような目にあったとき、悪いのは最初に小石を投げかけた私の子供で、相手には非はないのだなどと言うだろうか。
イスラエル軍の空爆と戦車砲の威力とハマスが打ち込むロケット弾とは、幼稚園児が投げつける石と機関銃ほどの差があるのだ。だからこそ、ハマスの
ロケット弾によるイスラエル人の死傷者の数が10指で数えられる程であったのに比べて、ガザでは数万人にのぼる死傷者が出ているのである。
それにしてもイスラエル軍による破壊の爪痕は凄まじい! テレビに映り出される建物の破壊の状況を見ると、中国四川省の大地震による崩壊現場と変わらないほどである。一方は自然のなせる技であるから諦めようもあるが、他方は人為的行為
の結果である。
さらに、イギリスのBBCは市街地に入ったイスラエル軍が家の中にいた子供たちを外に出させ、銃撃して殺傷させた事実を丹念な調査から明らかにしている。兄弟が皆殺され一人
だけ助かった女の子が、病院のベットで二度と歩けなくなった両足の傷に気づかぬまま、あどけない笑顔をカメラに向けているのを見ると、心がえぐられるようであった。
住む家はもちろん、飲み物も食べ物もない中、彼らはこれからどうやって厳冬の冬を越すのだろうか。大傷を負った子供たちに治療の手が差し伸べられる
ことができるようになるのだろうか。
「ユニセフ」と「国境なき医師団」へのわずかばかりの喜捨をした帰り道、「八ヶ岳おろし」がいつもより冷たく感じられてならなかった。
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この惨状は、四川省大地震と少しも変わらない
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