1300億ユーロ(約14兆円)の追加支援が決まってホッとしていた矢先、ギリシャ国民にはまたまた暗いニュースが飛び込んできた。米国の格付け機関フィッチ・レーティング社がギリシャ国債の格付けをさらに2段階引き下げ
て「C」とするというニュースである。「C」は投資不適格の最下位ランクである。
今回、欧州連合(EU)
の融資と抱き合わせに、民間投資家が持つ国債の損失額を自発的にさらに増やすことになったわけであるが、その率は元本で53.3%、金利の安い新規国債への移行による金利の減少分と併せて考えると、ほぼ60%の削減となる。
これは、債務の一部不履行と何ら変わりはないとして、フィッチ社はデフォルト国家並みの格付けに引き下げたというわけである。考えてみれば、国家の威信をかけて販売した国債を40%しか戻さないのであるから、当然と言えば当然の処置である。今やギリシャは形だけは
先進国としての体面を保っているが、事実上、発展途上国レベルとなってしまったのである。
ギリシャ国民を待ち構える艱難辛苦
14兆円の財政支援を受けたギリシャであるが、忘れてはならないのは、この資金は国庫とは別の金庫に入り、EUやIMFなどの厳しい監視下で借金の返済に充てられる
など、財政再建のためにのみ使途が限られているという点である。決して、国民の生活を助けたり、年金の補充に当てられたりなどする資金ではないのだ。
それを知るギリシャ国民から、自分たちの生活や福祉に何の役にも立たない支援を受けて、EU各国から財政運営に一段と厳しい条件をつけられてはたまらない、という声が上がっているのはそのためである。
それではこれからギリシャ国民の生活はどうなっていくのか? 一言で言うと、かってないほどの艱難辛苦を味わうことになるということである。今回の支援の条件として突きつけられて飲まざるを得なかったものとは何か?
@ 1万5000人の公務員の削減
A 給料のカット
B 年金の削減
年金の削減だけは何とか避けたいと考えたようだが、結局飲まざるを得なかったようだ。となると、@により既に20%を越している失業率が更に増加することは必至、恐らく年末までには25〜30%近くに達するのではないだろうか。中でも若者の失業率は既に40%を超しているようだからなおさら深刻だ。
3人に一人、4人に一人が職につけないという状況がどれほど大変か、読者にも分かるはずだ。仮に職に留まることができたとしても、15%の給料のカットは厳しい。年金受給者はさらに大変だ。実際にその影響が現実化する夏
の終わりから秋にかけて、ギリシャ全体に厳しい状況が到来するのは必至である。一番恐れるのが、頻発するであろう反政府デモが暴動化することである。
それでは、国家財政は厳しい財政削減によって立ち直り、将来に希望が持てるようになるのだろうか? それは無理である。なぜなら、政府が財政支出を押さえれば、経済が停滞することは避けられぬだけに、当然、税収入は減少する。そうなれば、赤字を出さないためにはさらに支出を抑えることになる、この負の循環が加速化し、経済は一段と悪化する可能性は大きいからだ。
それを裏付けているのが、数週間にわたってギリシャの財政状況を調査してきた欧州中央銀行(ECB)や国際通貨基金(IMF)などのトロイカ調査団の報告である。それによると、財政状況はこれまでギリシャ政府から受けていた報告よりさらにひどく、政府債務の残高は国内総生産(GDP)比率で160%よりさらに悪化することは必至のようである。
今回の支援で2020年までに比率を120%に下げようとしているわけであるが、それはどうやら夢物語に過ぎないようである。と言うことは今回の支援は、単なるその場しのぎに終わってしまうことになる可能性が大というわけだ。
そうならなくて欲しいものだが、状況は大変厳しそうだ。
世界の全ての国が同じ道を歩む
冷静に判断すると、これから先ギリシャの行く先に待ち構えているのは、完全なデフォルトかEU離脱による再建の道しかなさそうである。もしも、そうした事態を起こすまいとするなら、国民が、終戦直後のあの厳しい状況と同じ状況を堪え忍んで乗り切るしかない
が、贅沢を味わったギリシャ国民にそれができるかどうかである。
他人事のように言っているが、今回支援に回ったドイツやフランスといえども、遠からずして同じ道を歩むことになるのは避けられそうにない。ギリシャの破綻が、イタリア、スペイン、ポルトガルへと波及するなら、痛みを味わわないわけにはいかないからである。
それは、米国も我が国も同じである。ギリシャ国民が味わう試練は、対岸の火事では済まされないのだ。ただ時期が少しばかり早いか遅いかの違いだけである。それゆえ、我々はギリシャのこれからの窮状を明日は我が身の気持ちで、しっかりと
見守っておくことである。私がギリシャ問題をたびたび取り上げるのは、決して他人事ではないからである。