深まるばかりのモアイ像の謎
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海岸を背に島を見つめるおなじみのモアイ像・これらの像は高さ3.5m、重さ10トンほどである
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チリの彼方4000キロの海上に浮かぶ島・イースター島。日本の小豆島ほどの小さな島の海に面した高台に、人面を模したモアイ像が
並んで立っている。その数はウイキペディアによると、1000体ほどあり、大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いという。しかし中には20m、重量は90トンに達するものもあるようだ。
一般的な学説としては、かってここに住んでいた先住民が岩山から切り出した石(凝灰岩)をその場で彫ったあと縄で引っ張り海岸まで運んで、石台の上に立てたとされている。
その際、運搬に使われた木やロープは、4〜5世紀頃、島に生い茂っていた椰子やシュロの木とそれから採れた繊維が使われたという。
確かに
現地で行われた運搬実験でも、10トンクラスの石像はどうにか運べており、石などを支えに使って立ち上がらせることも出来ている。更に最近の実験では、立てられた状態で運搬する方法も見つかっており、運搬する人数も少なくてすむことが実証されている。しかし、それはあくまで10トン程度の像の運搬であり、運ぶ距離も平地の砂地90メートルほどに限ってのことである。
ところが、最大のモアイ像は90トンもあり、像を切り出す岩山は6〜8キロほども内陸部で、さらに海岸まで運ぶ途中には100メートルほどの崖を下る必要がある。
また、モアイ像を牽いたり起こしたりするときに使うロープの強度と長さの問題は残されたままである。
そうした問題点を考えると、4〜5世紀の先住民が神事に使ったり、埋葬のために使うために切り出して運んでいたという説には首を傾げざるをえなくなってくる。シュロの繊維は大変強い
ものだというが、5トンや10トンの石運びには耐えられたとしても、50トン、100トンとなるとその可能性は極めて小さくなってくる。それより、何百人
もの人間で運ぶためには相当長いロープが必要となってくるはずだが、数メートルのシュロの繊維をどうやって結びつけたというのだろうか?
私はペルーやボリビアにある巨石と同様、人類が忘却の彼方に忘れ去ってしまった文明によって作られ運ばれたものと考えるのが正しいのではないかと思っている。それを示す一つの証拠となるのが、放置されたモアイ像のすぐ横、海岸沿いにある石組みである(下記写真参照)
。こうした写真はあまり紹介されたことがないので、読者は見たことがないかも知れない。
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イースター島にはこんな精緻な石組みも残されているのだ。
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私は現地に行っていないので確かなことは分からないが、写真に写っている下段の石の大きさは土に埋もれている部分を含めると、少年の姿から推測して高さは2メートル
近くはありそうなので、ほぼ同じ長さを持つ立方体の石だとすると10トン近くになりそうだ。
問題はこれほどの重い石を組み並べた石垣の石と石の間に、カミソリの歯一枚も入る余地もないという精緻さである。これは、巨石を並べたペルーのマチュピチュ遺跡やサクサイワマン遺跡の石組み(下の写真を参照)
に残された謎と同じである。
これだけ精緻に石組みすることは、古代エジプト人やインカ人と同様、4〜5世紀のイースター島の先住民には無理である。島からは鋭利な鉄製の斧やノミは一切発見されていないからである。ということは、イースター島にもペルーやエジプトに巨石文明を残したのと同じ先史文明の人々が住んでいたことになってくる。ならば、モアイ像もその当時の遺物
と考えた方が良さそうである。
参考までに、ペルーの遺跡に残された超先史文明の石組みを掲載しておく。
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マチュピチュ遺跡の石組み
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サクサイワマン遺跡の石組み |
クスコ市街地の石組み |
巨大モアイ像の発見
そんなことを考えていた矢先、「Easter Island Statue
Project」というサイトで、驚くような記事に出くわした。そこには、頭部だけの像と思われていたモアイ像の下を発掘したところ、なんと頭部の3倍近くある
胴体と台座が出て来たことが写真入りで紹介されていた。
その1枚が下に掲載した写真である。最下部が何処まであるか不明なので正確なことは分からないが、少なくとも全体では12〜13メートルはありそうである。3.5メートルで20トンということなので、70トンは越していそうである。新幹線車両の
1.5台分である。
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発掘中の巨大モアイ像・これほど大きなモアイ像を見るのは初めてである。
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これだけの巨石を数キロ離れた岩場から、100m近い段差を超えて運び出すことはとうてい無理な話である。しかも一見したところ、何処にも大きく欠けた傷跡など見当たらない。それにこの像には、下腹部に手が置かれ、背中や腰にたくさんのシンボル(マーク)が彫られている。
これまでのモアイ像にもこういったシンボルが彫られ、手が前に置かれた像は発見されているのだろうか? そしてその意味は解釈されているのだろうか? 詳しく調べたことがないのでなんとも言えないが、少し勉強をする必要があるようだ。同ホームページに掲載された写真
の内、何枚かを転載させて頂いたのでご覧頂きたい。
写真Cの顎の下を見ると大変きれいに彫られているのが分かる。今までこうした写真を見ることがなかったので少々驚きである。
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