1999年の株主総会を最後に会社役員を退社してから12年余、その間訪れた遺跡や国々はどれ程になったであろうか? 探索を基に書き上げた著書や写真集はいつの間にか1
5冊。
思い返せば11年前の2001年の晩秋、マチュピチュやナスカ、エジプトなどの遺跡探索から得た情報を基に、地球と人類の真実の歴史を書き上げた私は、800枚を超す原稿用紙を手に、出版先を探して大手出版社の門を叩いて回っていた。
現役中なら名刺の肩書きで、どこを訪ねてもすぐに役員室に通された私であったが、退任後は一切の役職を捨てていたので、手にした名刺には何の肩書きもなかった。そんな私に現実は厳しかった。肩書きなしの私の原稿などどこの社も目をくれず、
ていよく断られる日々が続いていた。
そんな時、エドガー・ケーシーの翻訳者として有名な林陽氏からの紹介でお会いしたのが、当時徳間書店の編集長であった石井健資氏(現ヒカルランド社長)であった。本社のある港区芝大門の喫茶店でお会いした編集長は、私の差し出した原稿にしばらくの間目を通
した後、「おもしろそうなので当社で引き受けましょう、上下本で行きましょうか」と言われた。
それは遺跡探索の処女作となった『謎多き惑星地球』
誕生の一瞬であり、私が望んだ「第2の人生」の門戸が開いた瞬間でもあった。あれから10年余、人類史の真実、UFO・宇宙の真相、霊的世界の実体を一人でも多くの人に知ってもらうための探索の日々が続いた。それは私自身がこの世に旅立つ前に霊界で描いたシナリオ
に則った人生であった。
そんな中、クスコ出身で大阪に住むセサル・ラトーレ氏と知り合いになったのは、ペルー探索の旅が縁であった。彼からペルーにはいまだに学校に行きたくても行けない子供たちがたくさんいることを知らされた。それは、近在に学校がないからであった。もともとアンデス音楽のスペッシャリストであるセサル氏が日本に演奏にやって来たのも、学校建設の資金を稼ぐためであった。
そんな縁で、その後セサル氏に協力してもらいながらペルーの辺境地、アマゾン川の源流域やアンデスの高地に学校を建てるところとなったわけであるが、昨年『世界に散った龍蛇族よ!』の取材でグアテマラを訪れた際にマヤの長老アレハンドロ氏から
請願され、先住民たちの住むエストール村で医療に励むショル先生のために、新たに診療所を建設することとなった。
今年早々から建設を進めていたが、4月に完成し落成式が行われることになった。しかし、講演会で時間が取れないため、ニュージーランドやグアテマラ、メキシコなどでの通訳をお願いしている鈴木美穂さんに代わりに出席してもらうことにした。
このたび帰国した彼女からメールが届いたので、落成式の様子と添付された写真を紹介させて頂くことにした。建設資金の一部には皆さんに読んで頂いた著書の印税や講演会の入場料
が充当されているので、今回の診療所もペルーの学校建設同様、皆さんの協力によって建てられたものであるからだ。
実は私がアレハンドロ長老からの要請に応じて建設を引き受けたのは、ショル先生
は一般患者の治療だけでなく、エイズ患者の治療もしており、たくさんのエイズ患者の治療に成功していることを、長老からお聞きしたからである。エイズの病状は血液検査によって診断することが出来るので、治療効果があったかどうか
、完治したかどうかは見極めることができるのだそうだ。
現代医学が暗中模索しているエイズの治療にショル先生はどうやって成功したのか? 実は先生はエイズの治療に医薬品は一切使わずに、現地に生えているある薬草を使って
いたのである。ある日、たくさんの薬草の茂る風景を幻視させられた先生は、その後、何日も山の中に入りその場所を探し歩いたところ、幻視した通りの場所
を見つけることが出来たのだそうだ。この興味深い話については、また後日改めてお話ししようと思っている。
なお17日、山中湖湖畔で行われた比嘉良丸氏主催のファイアー・セレモニーで、アレハンドロ長老とエウヘニアさん
にお会いした際に、診療所のその後の進捗状況について、長老から、現在、医療器具やベッドなどを揃えている最中なので、間もなく診察が始まるとの
お話をお聞きした。長老たちには大変喜んで頂けたようで、お二人の嬉しそうな顔を見ていると先住民達の喜びの様子が目に浮かんで来るようであった。
「闇の勢力」の人口削減計画に則って人工的に作られたエイズ、そんな不条理な病気に苦しめられている罪なき先住民達が一人でも多く救われ、夫婦、
親子が幸せに暮らせるようになるなら、嬉しい限りである。1日も早い診察の開始を願っている。
鈴木美穂さんからのメール
浅川先生、お世話になります。鈴木美穂です。
先ずは、昨日無事「ショル先生診療所落成式典」が無事終了したことをご報告申し上げます。大変素晴らしい建物が出来上がっており、ショル先生もご満悦のご様子でした。建物は約11部屋に分かれており、出産部屋の隣りには、清潔な流しも取り付けられておりました。また、トイレ3カ所及び、シャワー1カ所が完備されていました。ベッドや家具などの内装・什器は、現在整えつつありますので、運営開始までにはもう少し時間がかかりそうです。
式典はアレハンドロ長老による祝辞からはじまり、イツァバル州知事による祝辞、エストール市長による祝辞、ショル先生からのご挨拶へと進んでいきました。浅川先生の祝辞は私が代読させて頂きました。
アレハンドロ長老はいかにして浅川先生と出会い、現在のこの診療所が建つまでの流れになったかの経緯について、2007年に浅川先生の招待で日本を訪れた時から日本とのつながりを、関係した全ての人の名前を上げられながら、話されておりました。
州知事も人の良さそうな方で、ご両親のどちらかが先住民出身であることもあり、今回の診療所建設には大変好意的でした。(3つ予定が入っていた中で、一番大切だと思うこの式典に本日は参加しましたとお話されていました)
また、市長は34歳という若い青年で驚きましが、とても精悍な雰囲気の方で、今回このような形で日本からの援助により診療所が建ったことをとても喜んでいらっしゃいました。・・・・・・・
詳細につきましてはまたお会いした際にお話しさせて頂こうと思っています。