最近の中国に関するニュースを読んでいると、非人間的な行為の連続に浅ましさとおぞましさが感じられてならない。
読者もよもや、先の高速鉄道事故の事故現場での対応を忘れておられまい。脱線して架橋からぶら下がった車両の中にまだ生存者がいるというのに、重機で引きずり落とそうとしたり、検分もまだ済んでいない車両を穴を掘って埋めようとした信じられない行為である。
これは鉄道省という国営機関の役人どもの我が身保全の為せる技であったことは自明の理だが、「我さえ良ければ、今さえ良ければ、カネさえあれば」に染まったおぞましい心の持ち主は、なにも共産党の金持ちや官僚だけではなかったようである。
それが如実に表されたのが、広東省仏山市で10月13日に起きた2歳女児のひき逃げ事件、通称「悦悦(ユエユエ)ちゃん」事件である。車にひき逃げされて道ばたに倒れていた悦悦ちゃんを18人もの通行人が見て見ぬふりをして通り過ぎ
、数時間後に亡くなった事件の映像は、日本人を始め世界中の人々に大きな衝撃を与えるところとなった。
安微省のテレビが報じたこのニュースは中国国内でもネット上で話題となり、ひき逃げ犯と子供を見殺しにした通行人を攻撃する書き込みが溢れ、全国のメディアでも取り上げられるところとなった。その批判
記事の中でキーワードとなったのが「冷漠社会(苦しむ他人に無関心な社会)」である。
冷漠社会に対する警告は「悦悦ちゃん」事件から始まったわけではなく、すでに先の鉄道事故や上海の地下鉄追突事故以来、北京の都市報である「京華時報」などで報じられ始めていた。こうした冷漠社会を産んだ背景として語られているのは、次のような点であるとされている。
@ 中国社会が都市化することで流動人口が増加し、隣人の顔すら知らない人間関係の希薄な社会となって来たこと。
A 老人を助けた若者が、逆に加害者として告発され賠償金を支払わされるという「冤罪(えんざい)」事件の増加によって、人々が疑心暗鬼となる風潮が発生して来たこと。
B 生活に追われるあまり、他人を気遣うどころではない人々が増えて来たこと。
確かにこれらの点が冷漠社会発生の背景にあることは理解できるが、こうした風潮は大なり小なり何処の国でも発生して来ていることで
、なにも中国に限ったことではない。そのために2歳の子供がひき逃げされ血を流して苦しんでいるのを、18人もの人間が全て見て見ぬふりを
して通り過ぎるなどということは、よその国ではあり得ないことである。
これはまさに「自分さえ良ければ」の最たる行為で、これではもはや、人間は動物以下の存在に成り下がってしまったというしかない。冷漠社会誕生の真の理由は先に挙げた3つの要因などではなく、
中国民族の特異性と、長い間共産党政権が取ってきた人権を無視し、人の命をないがしろにする政策によるものであることを、我々は肝に銘じておく必要がある。
幼稚園送迎バス衝突事故
民主主義もこの世に市場経済という妖怪を誕生させるところなったが、共産主義は人間の心そのものを妖怪へと変身させてしまったようである。先日起きたスクールバスの信じられない事故
を見ればそれがよく分かる。
それは、今月16日の朝、甘粛省慶陽市で起きた21人の園児が死亡し、18人が重体となった幼稚園のスクールバスの事故である。地元政府の調査によると、事故を起こしたバスは全長4メートル余りの普通のワゴン車であるが、幼稚園側がバスに設置されている椅子を撤去し、わずか9人乗りの車に62人の園児を立ち乗り状態で詰め込んで
、送迎に使っていたというのだからあきれかえってものが言えない。
多少の定員オーバーの話ではない。なんと62人を乗せていたのだ!!
事故当日、霧が出て天候が悪い中、運転手は制限速度を上回る時速80キロで逆送し、大型ダンプカーに激突していることを考えると、幼稚園の経営者だけでなく、使用人の運転手さえも大切な園児を送迎しているという自覚がまったく欠如して
いたと考えざるを得ない。
昨年江蘇省では7人乗りのワゴンに25人もの子供を乗せ、4歳の園児が窒息死するという事件も起きている。
また、南西部の貴州省貴陽市の小学校では、2350万円出して購入した5台の「スクールバス」は名前とは裏腹に、実際には教師の送迎用に使われていたという。まさに、恐れ入りやの鬼子母神である。
今や政治・経済の両面で世界の牽引国になろうとしている中国、確かに車の販売台数は米国を抜いて世界第1位、また、GDP(国内総生産)も日本を抜いて第2位へと躍進して来てはいるが、
こうした凄まじい冷漠社会の実態を知ると、こんな国が導くことになる世界の未来が空恐ろしくなってくる。
『龍蛇族直系の日本人よ!』に書いたように、漢民族は同じ黄色人でありながら、日本人やモンゴル人などとはまったく別で、五色人の中に含まれない人種であることを忘れないようにしてほしい。顔
や容姿が我々と似ているという点ではブータン国民と一緒であるが、人間性においては「月とスッポン」・「天と地」ほどの差があるのだ。
いやはやなんとも恐れ入った、昨今の中国の実情である。