今、東日本大震災に襲われた福島県をはじめとする被災地で、霊界へ旅立つことが出来ずにいるたくさんの霊たちが目撃されているのを、あなたはご存じだろうか。自転車に乗って遊んでいる幼い子供たち、廃墟と化したスーパーに買い物にやって来る主婦たち、通勤に向かうサラリーマン。彼らは皆、おのれの死を自覚できないため、今もなお過去の記憶の世界をさまよい続けているのである。
一方、生き残った人々の多くは失った家族のことを考え、深い悲しみと寂しさから抜け出せないでいる。妻や息子夫婦をを失い残された孫とたった二人きりで
、先行きを心配しながら暮らすお年寄りにとって、我が身を襲った災難は、まさに「生者が死者を羨む艱難」であったに違いない。
これから先、我々は「あの時いっそう死んでいたら」と思うような艱難に出会ったり、また遠からずして自分自身の「死」に遭遇することになる
ことだろう。何十万、何百万の死者が出る災害ともなれば、墓への埋葬も葬式すらも出してもらえないことになる。そんな時、もしも自分の死を自覚できずにいるようだと、霊界への旅立ちは叶わずいつまでもこの世をさまようことになってしまう。
今、たくさんの悲惨な事故現場や大病院の病室などに、どれだけ多くの不成仏霊がさ迷っているか? また、あなたが毎日乗っている通勤列車に、どれだけ多くの死者の霊が乗っているか? あなたはご存じだろうか。彼ら、彼女らは皆、自分の死を自覚できないまま
、夢見の状態でこれまで通りの生活を続けているのだ。
その姿は戦後60年たった今、戦地で未だに隊列を組んで行進し続けている兵士たちの霊と一緒である。
死者にとって時間の経過はないに等しい。それゆえ、こうした不成仏霊たちは肉体を離れた後もなお長期間にわたって物質界に留まったまま、無意味な行動を際限なく繰り返すことになるのだ。
また、死後にこの世は離れたものの、誤った死生観や宗教観を持っていたために、「霊界」と「この世」の間に創られた「幽界」の一角に留まり、無意味な時間を費やしている霊たちもまた不成仏霊とさして変わらない類(たぐ)いである。
彼らは死後に霊界に直行せずに幽界(アストラル界)に立ち寄り、生きている人間の想念で創られた想念体系と呼ばれる世界に留まって、この世にいたのと同じ生活を繰り返しているのだから。今から3300年前に亡くなったエジプト古代王朝のセティー1世と、その愛人であったオンム・セティの物語を読めば、その一端を垣間見ることが出来る。
こうした状況に陥らないために貴方が今しておくべきことは、「死」とはどういう現象か? 生きていることの意味は? 自分は一体どこから来て、どこへ去って行こうとしているのか? そうしたことをしっかり頭に入れて、死を恐れぬ不動の心をしっかりと心に刻んでおくことである。
浮かれたアセンション観や誤った宗教観は非常に危険である。
私のHPの読者なら、死についてある程度のことなら理解しておられるはずである。しかし、心底、死の本質が頭に入っていなかったら、いざという時、恐怖心やこの世に対する執着心によって迷いが生じ、帰るべき世界に戻れないケースが出てくるかもしれない。
妻の死をきっかけに死の実体を記した『人間死んだらどうなるの?』や、人の来し方、行く末を記した『2012年アセンション最後の真実』などを、何度でも繰り返して読んでおいて欲しいと願うのは、
それゆえである。本は一度読むのは、読んだと言わずに眺めたという。心底理解するには繰り返し読むことが肝要である。
著者の私でも改めて読み返してみて、思い諭されることが多々あるからである。
これまでに全国各地の講演会で、「人間死んだらどうなるの?」については何度も繰り返しお話ししてきたつもりだが、残念ながらまだ十分に理解に至っていない人々がおられるようである。そうした方々からの講演の依頼があまりに多い
ため、今回、地元小淵沢に会場を限定して、再度講演会を開催することにした。
2月、3月、4月と3回にわたって、最新のアセンション情報などを交えながらお話しさせてもらおうかと思っている。原則として、3回連続してお聞き頂くことを前提に申し込みを受け付けることにしたので、「人間死んだらどうなるの?」について、しっかりと聞いておきたいと思われる方は、下記日程をご確認の上、ご参加頂きたい。