とうとう大飯原発の再稼働が始まった。関西電力は昨日の夜9時過ぎに再稼働に向け原子炉を起動。国内の商業用原発全50基が止まった5月5日以降の「原発ゼロ」は2カ月で終了。早ければ4日に送電を始め、8日にもフル稼働に達する見込みである。
福島原発事故の全電源の喪失や3号機の水素爆発などその原因の究明はもとより、その後の汚染処理問題の目途も立たない
上に、免震棟の建設も津波対策もされていない今、なにゆえ再開に踏み切らねばないのか。政府も関電も夏場の電力不足が招く社会の混乱を防ぐためだと主張しているが、火力や水力発電のフル稼働が行われ、電力会社間の電力融通が行われても、本当に
15%の電力不足が発生するのだろうか?
私にはそうは思えないが、仮に猛暑に襲われ多少の電力不足が発生したとしても、節電に努める選択肢をなぜ選ばないのか。夏の暑さの厳しい京都や大阪はさぞかし大変であろうが、ピーク時はせいぜい2週間から3週間のこと、夜はすべてのネオンを消し、コンビニは
名前の通り夜11時をもって閉店し
て何とかしのぐしかない。原発推進国のあのフランスでさえ国を挙げて取り組もうとしている節電対策を、原発事故の当事国である我が国で出来ないようでは情けない。
節電対策を進める一方で、代替えエネルギーの開発に急いで全力投入することである。開発費用はかかるだろうが、福島の汚染処理や再開発に20兆円を超す国費が投入されることを考えれば、安いものである。自分の生きている内は大地震も原発事故もないだろうと思い込んでいた我々は、もはやそんな考えが通用しない時代に遭遇していることを自覚しなければならない。
大飯原発に依存している大飯町の住民は原発が廃止となったら、さぞかし生活は大変なことだろう。しかし、そのために1億人の日本人が日々放射能被害を心配しながら生きていかねばならないとしたら、それは不合理である。原発の置かれた町の住民の職業変えのための費用の一部を、国が面倒を見てやったところで、そんなものはわずかなものである。
福島原発に家族ぐるみで勤務したり、東電の落とす経費で潤って来た人々が今回の事故後どう言っているか聞いてみて頂きたい。「これまで、東電のお陰で得ていた収入はすべてすっ飛び、将来の夢も希望も消えてしまった。今は原発誘致に賛成したことが悔やまれてならない」。目先の生活のために原発に依存して生計を立てている人々は、いつかきっと同じ思いを感じることになるに違いない。しかし、その時では遅いのだ。
大飯原発が再稼働したら、他の原発も堰を切ったように稼働に向けて動き出すに違いない。そうしたら、日本全国すべての地域に住む人々が第2の福島になることを恐れながら生活することになる。それどころか次にもう1ヶ所どこかで原発事故が発生したら、日本はもはや終わりである。
地震や噴火、巨大津波の頻度が高まり、その規模も記録的なものになろうとしていることは、昨今の世界的な災害を見れば、誰の目にも明らかである。いつ起きてもおかしくないと言われている東海・東南海地震や南海地震の発生に限らず、これから先はどこでどのような巨大地震が発生するか分かったものではない。
原発に災害をもたらす震源地となるエリアは日本列島やその近海に限られているわけではない。たとえ中国の沿岸部で発生したとしても津波はあっと言う間に日本海沿岸に到達する。そうしたら福岡から福井、新潟に至る原発は皆巨大津波に襲われることになる。遠く離れた南米西岸の地震とて同じことである。
原発反対の座り込みに参加した瀬戸内寂光さんを見て、「同じ年代の大勲位受賞者の中曽根康弘元総理も、命あるうちにこの国の原子力政策はどうやら間違っていたようだと詫びてから、この世から去ってほしいものだ」という意見に接して、思わず
大きくうなずいてしまった。
核燃料再処理に限界
仮に原発事故の発生が先に延ばされたとしても、それと変わらないほど大きな問題がある。それは原発の使用済み核燃料の処分の問題である。
核燃料を再利用するために青森県六ケ所村に造られた日本初の本格的な「再処理工場」は、1993年の着工以降20年近い歳月と、当初計画の3倍を上回る2兆2000億が投資されているが、トラブル続きでいまだ稼働していない。
そこに来て新たな問題が発生したのだ。現在26%の原発依存度を抑えようと、「依存度15%」や「依存度ゼロ」などの3案が検討されているが、仮に依存度が15%以下となった場合には、廃棄物の全量を再処理して出来る燃料棒の使い道に困ることになってしまう。このため、原子力委員会は、再処理しない分を地中に埋めるなど直接処分するのが適切だと言い出したのである。
直接処分とはいかなることか。放射能に汚染された廃棄物を覆って地下に埋めることである。つまり生活汚水をビニール袋に入れて庭に穴を掘って埋めるようなものである、この場合、地震などによって地殻に変動が起きると、放射能汚染物は箱を破って外に飛び出し、放射能は地下水によって海に流れ込んでしまう。
先の東日本大震災で、日本列島の地殻は震源地を中心に西から東に波打つように2メートルから20センチにわたって移動している。だから、震源地から500キロ以上離れた八ヶ岳山麓の野辺山に設置されている緯度測定基準点は26センチほど
東に移動していた。これだけの地殻移動が発生したら地下深く埋められた廃棄物に破損が生じる可能性は大である。
たとえ再処理工場が完成しても、使用済み核燃料が増え続ける構図には変わりはない。全国に54基ある原発からは年約1000トンの使用済み燃料が出るが、工場の処理能力は年800トン。政府は新たな貯蔵施設の建設に向け、受け入れ自治体に交付金を出すことにしているが、これまでに受け入れが決まったのは青森県むつ市だけだ。
仮に100%再処理が出来たとしても、使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出す過程で生じる高濃度の放射性廃液は、ガラス固化して地下に埋めることになっている。結局は
現在の我々の科学力では放射能汚染物を無にする事は出来ないのである。
どうやら、我々は原子力発電というパンドラの箱を開けてしまったことは確かなようだ。残された道はただ一つ、世界は1日も早く原発依存から脱却し、数十万トン、数百万トンに達する破棄物をどう処分するか、全知全能を傾けて考えることである。それが無理なら人類に明
るい未来はない。地球生命体の怒りの爆発が待っているだけである。それにしても人類は重いカルマを背負ってしまったものである。