失われた先史文明の存在を実証
先日、井口和基氏のブログを拝見していたら、驚くべき記事が掲載されていた。そこには古い時代の世界地図が載っており、記事を読むと、それは明朝時代に中国に残された地図であるという。
ブログには発見の経緯を語る動画が掲載されていたが、英語バージョンなので、翻訳のプロの方(寺石容一氏)に訳して頂くことにした。この28分間ほどの動画は、あるジャーナリス
トのブログに掲載されたもので、そこには地図の発見者の娘さんである
Charlotte
Harris Rees
(シャーロッテ・ハリス・リース)さん
とのインタビューの様子が映されている。
翻訳文を掲載したので、英語が苦手の方はそれを読みながら、動画を見て頂きたい。地図は500年ほど前の1513年頃に作製されたもののようであるが、それは
当時既に存在していた地図をもとに作られた可能性が大きいとのことで、原本はそれよりは数千年前に書かれたものに思われると、語られている。
先ずは、「4000年前の中国がつくった世界地図」と
いうタイトルがつけられた映像を見ながらインタビューの概要をまとめた翻訳文を読んで頂きたい。
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地図発見者の娘さんのシャーロッテ・ハリス・リース
さん |
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● 地図を世に出した人物はCharlotte
Harris Rees (シャーロッテ・ハリス・リース)さん(写真上)。
● 彼女は「古代世界への秘密の地図」(Secret
Map to the Ancient World)という本の著者である。彼女の父親がもともとこの地図を発見した。
「父は1915年中国で生まれたので中国語に精通していました(没年は1981年)。宣教師です。ある日、骨董品屋でこの地図を発見し、そのとりこになったのです。彼はもちろん中国語が読めますからそれで長い間、この地図について調べていたようです。
1513年頃の地図とのことですが、コピーされた可能性がありますから数千年前につくられた地図という可能性もあります。この地図はコロンブスがアメリカを発見する1492年よりもずっと前にアメリカ大陸に中国人が渡っており、それでこれだけの地図が描けるようになったともいえます」。
「ご存知のように中国人は紀元前2000年頃にはすでに史書を残すほどの世界屈指の文明をもっていました。だからその頃にすでにこの地図ができていたという仮説は絵空事ではありません。コロンブスがアメリカを発見するよりずっと以前に中国人は大きな船(100人乗り)に乗ってアメリカ大陸へ渡っていたという可能性もあります」
「ネイティブ・アメリカンのDNAはいろいろとありますが、その中にアジア人のものがあるというのは事実だと思います。中国人ではないかと思われます」「父が見つけたこの地図には日付は書かれていません。明朝時代にコピーされたのではないかと思っています。もともといつこの地図ができたのかはナゾのままです」「中国政府はこの地図を世界に公表すべきです」
「その昔、アメリカの教科書にはネイティブ・アメリカンはアジア人だということが書かれていたといいます。それがコロンブスのアメリカ発見とその記念日を境に教科書から消えてしまったようです」
「父はこの地図を自分で偶然みつけて、あることを信じていたようです。
これは随分前に中国人によってつくられた世界地図であると。当初、私はその信憑性を疑っていましたが、2003年あたりから調査をするうちにだんだんと、父の考えていたことが分かってくるようになりました」
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ピリ・レイスの地図
地図の作製日は1513年となっているが、元本の地図は
それより遙かに古いものであった可能性が高い。地図右側が
アフリカ大陸、左側が南アメリカ大陸の東海岸を表示している |
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ここではシャーロッテ・ハリス・リースさんが語る、地図発見の経緯やその地図が少なくとも今から500年は前のものであり、さらにその元本はそれより遙かに古い時代のものである可能性が語られている。
発見された地図のルーツが500年前の明朝時代であっても、さらにそれ以前であっても、この地図が我々が知らされてきた人類の歴史
を根底から覆すものであることに変わりはない。仮に、明朝時代(1500年頃)に残された地図だとしても、それはコロンブスが米国大陸を発見した
のと同じ時代であるから、世界の全体像がこれほど詳細に描かれていたことは、従来の歴史観をまったく変えることになってくる。
ましてや、この地図が既に明朝時代に残されていた原本を書き写したものであるとなると、原本の地図はそれよりさらに古い時代のものと言うことになってきて、人類の歴史は一変することになる。そこで思い出されるのが、私が『謎多き惑星地球』(徳間書店刊)で紹介した、ピリ・レイスの地図やオロンテウス・フィナエウスの地図である。
ピリ・レイスの地図とオロンテウス・フィナエウスの地図
1513年の作成日が記された16世紀にトルコ海軍が所有していた「ピリ・レイスの地図」には、南アメリカや西アフリカの一部と一緒に1818年に発見されるまで、その存在が知られていなかった南極大陸の海岸線が描かれているのである。
さらに驚くことに、地図には紀元前400年頃、アレキサンダー大王時代の20枚の原地図を参考に編集したものであることが付記されていた。
それどころか、この20枚の地図とて更にコピーである可能性が大である。なぜなら紀元前400年頃にそのような地図が作製される
ことは、さらに可能性が小さいからである。となると、地図の原本はそれより遙か以前、すなわち失われた先史文明の知識を元に描かれたものと考えざるを得なくなってくる。
ピリ・レイスの地図ほどの正確な地図を作製するには、各地点の緯度や経度が正確に測定されねばならない。しかし、天測によって南北の方位を決める緯度測定法は古くから知られていたが、東西方向の位置、つまり経度を測定できるようになったのは、クロノメーターと呼ばれる経度測定用精密時計が発見された19世紀以降のことである。
こうした事実は、ピリ・レイスの地図が今日の文明に匹敵する、高度な科学知識とテクノロジーを持った「先史文明の存在」を示していることになる。
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オロンテウス・フィナエウスの地図
右下が南米大陸の南端を表している。地図は南極大陸が現在の地図に
極めてよく似ているだけでなく、海岸沿いには山脈や河川が描かれ、
当時大陸全体が氷床に覆われていない状況にあったことが示されている。
それは、南極と北極の位置が現在の位置と異なっていたこと、つまり、
この地図が作製された後にポールシフトが発生したことを暗示している。 |
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さらに、フランスの数学者で地理学者でもあるオロンス・フィネ(ラテン名:オロンテウス・フィナエウス)がピリ・レイスの地図とほぼ同じ頃(1531年)に作製した「オロンテウス・フィナエウスの地図」には、なんと南極大陸の輪郭だけでなく、南極点の位置、海岸沿いの山脈や河川、ロス海の小島まで
が詳細に描かれていたのである。
上段に掲載した地図を見れば、南極点の位置が正確に描かれ、大陸全体の地形が現在の地図とほぼ合致していることや、海岸に迫っている山脈が近年になって発見されたものと一致していること
が分かる。この地図がオロンテウスの想像で描かれたものでないことは確かである。
こうしてみてくると、今回、中国で発見されたという明朝時代の世界地図もまた、それよりはるか以前の原本や写本を元に描かれたものである可能性が高くなってくる。それはまた、私が10余年の歳月をかけて南極や北極
を訪ね、さらには世界各地に残された遺跡を探索して明らかにして来た、先史文明の存在を裏付ける確かな物的証拠の一つとなりそうである。
9月6日掲載の「驚異的なマヤの銘板」と同様、今回の世界地図も中国政府が正式に発表し、これまで語られてきた人類の歴史が間違っていることを世界に伝えるべきである。しかし
、メキシコ政府ならいざしらず、党の存続に必至になっている今の共産党政権では、到底それは無理なことかもしれない。
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