ランペドゥーサ島の悲劇
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ランペドゥーサ島に救助された人々。彼らのこれから先に待ちうけている運命は過酷だ
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イタリア最南端ランペドゥーザ島沖で11日、北アフリカからの250人の難民を乗せた船が転覆し、子供や女性を含む40人が死亡する痛ましい事故が発生した。難民の多くはシリアやパレスティナからヨーロッパを目指す人々である。同海域では8日前の10月3日にも、ソマリアからの難民らを乗せた密航船が沈没し、339人が死亡する大事故が発生したばかりである。
ランペドゥーサ島はイタリアの島の中でアフリカ大陸に最も近く、2011年の民衆蜂起「アラブの春」以降、北アフリカなどからヨーロッパ諸国を目指す難民が押し寄せており、そのため、同島の周辺では難民を乗せた船の転覆事故が相次いでいる。
多数の死者が出た海難事故そのものも悲劇であるが、それ以上に問題なのは、なんとかランペドゥーザ島にたどり着いた人々のその後の運命である。ヨーロッパの法律では難民が最初に上陸した国に保護責任があるため、イタリアやマルタ共和国が難民庇護のための一時的なキャンプを提供している。
そこで問題になるのが、キャンプ地を提供し難民を庇護しなければならないイタリアやマルタ共和国が、現在、厳しい財政難に落ちっていることである。イタリアがギリシャやスペインと同様、財政削減に取り組んでいる
最中であることはご承知の通りだが、マルタ共和国も小さな島国に過ぎず、今年の春、財政難でEUに支援を仰いだばかりである。
そのため、両国共に十分な避難施設が用意されていないため、定員250人の施設に800〜900人が収容されており、多くの不法移民や難民たちが激しい雨の中、屋外のマットの上で夜を過ごさざるを得ない状況が続いている。それゆえ、彼らの中には収容所の穴のあいた柵から脱出し、再び海に向かう者たちもいるようである。
たとえ何とか避難生活を送れている人々も、難民として認められて希望した国に向かうことが出来ないまま、何ヶ月も何年間も不自由な施設内にとどまり続けざるを得ない状況が続いている。難民事務所の体制が十分でないことと、ドイツやノールウエーといった難民の希望する避難先の国々が、受け入れを避けているためである。
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無事救助された幼い子供。しかし彼の両親の行方は?
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数百体の遺体の前に立つレッタ首相とバローズ委員長。二人には
キプロスやギリシャに対する経済支援と同じ支援が託されている。
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アフリカ、中東の悲劇は欧州の悲劇
イタリアのレッタ首相と共に300体の遺体が収容されたランペドゥーサ島を訪れたEUのバローズ委員長に対して、島の人々が「人でなし!、恥さらし!」と強い口調で避難の声を上げていたのは、そうしたEU諸国の避難民に対する支援体制の弱さゆえである。
ユーロ危機が騒がれて以降、EU経済の崩壊を防ぐための支援については、EUや欧州連銀は多額の支援金を融資しているが、こうした避難民に対する人道的支援はほったらかしのままなのである。
EUの中でも最も経済が安定しているドイツでさえも、避難民の受け入れや義援金の拠出については強い抵抗があるようである。
内乱が続くソマリアなどのアフリカ諸国だけでなく、シリアに続いて内戦状態へと進んでいるエジプトやリビアなどからの避難民は、これから先ますます多くなることは必至である。現に今年上半期にイタリアとマルタに上陸した避難民8400人は昨年2012年上半期に比べて
2倍となっている。
危険を犯してまでも避難しなければならないアフリカの悲劇はまた、避難先であるヨーロッパにとっても悲劇でもある。それでは、そうした悲劇は我々日本人にとって「対岸の火事」と思っていてよいものだろうか?
私はこうした避難民の悲しいニュースと受け入れ国の難題を聞くたびに、あることを想起し明日は我が身と感じることが多くなってきた。あることとは何か? それについては次回掲載することにする。
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