富士山が世界遺産に登録されて1ヶ月余、聖なる山は大変な人混みと不心得者によって汚染され、日に日に
その波動が下がり続けている。読者は上の写真を見てこれがどこの風景なのか分かるだろうか? 一見、何かのイベントが開かれる町中の風景に見える
かもしれないが、今月3日の富士山5合目付近の写真である。
観光客でごった返し、広場の隅ではアメリカ人登山客や中国人観光客が横になって寝そべり、手前の客は抱擁し合っている。一時前なら
想像も出来なかった風景だ。世界遺産に登録され
たため、今や霊峰富士は単なる観光地と化してしまい、聖なる山に登るという意識を持たない人々が日に日に増えているのだ。
5合目に到着して先ず驚かされるのは、あまりにも多い外人観光客の姿である。中でも目に付くのは中国人、韓国人で、まるでディズニーランドに押し寄せた観光客気分で大声をあげ
、買い物に夢中になっている。中には雲に覆われた山頂を見上げて「高いカネ払って中国から来たのに、なぜ山が見えないのよ!」と、ガイドに不満をぶっつけている愚か者もいる。
彼女は山の天気がカネでは買えないことを知らないようである。さすがは中国人、全てがカネで手に入ると思っているのだろう。
5〜6合目間は、数頭の馬が車に代わって体力のない人や疲労した下山客を乗せて行き来している。しかし、その道中は急斜面や高い石段が続いており、人を乗せて上り下りする馬たちにはかなりの
負担を強いることになる。以前6合目に向かった際に、足の具合が悪かったので馬の世話になったことがあったが、あまりに馬がきつそうだったので、途中で
降りてしまったことがあった。
3日に訪ねた知人は、途中、連日の働きで疲労困憊した馬が倒れている場面に遭遇してしまった。驚いて様子を見ると、馬の目は開いているものの、意識はもうろうとしているようで疲労
困憊状態だ。馬の飼い主は倒れた馬をクレーンを使って起き上がらせてようとしており、たてがみを引っ張って頭を上げようとする業者と、その傷みに悲鳴を上げる馬。見る者の心が引き裂かれるような場面であ
ったという。その話を聞かされた私や周囲の人たちは皆、声を失ってしまった。
今こそ稼ぎ時と、馬に十分な休養を与えず、連日の猛暑の中で酷使した結果に違いない。稼ぎ時の夏本番、馬主たちは馬たちの疲労など眼中にないのだろうか。カネ、金、カネ ・・・・ なんとも情けない人間の姿である。
霊的存在を見ることの出来る知人は、倒れた馬の悲痛な声を聞いて、周辺からたくさんの精霊たちが集まってくるのが見えたという。こうした精霊たちは人間の所行をどう感じているのだろうか。
登頂する人は、毎日、毎日長蛇の列。
夜を徹して登頂する人の懐中電灯の明かりが山頂まで連なっているのが見える。そんな弾丸登山の人々が増えているため途中で脱落し、山岳救助隊の手を借りて下山する
人も多くなっている。迷惑千万の話である。
一方、5合目付近で散策する人々は、まるで買い物ツアーに来たかのように、大きな声を出し合ってお土産を買いあさり、ゴミをまき散らしながら広場やその周辺を歩き回
っている。 彼らには富士の地が「神々の国」日本の最も「聖なる山」であることなど知るよしもないのだろう。
そのゴミを拾うのは日本人ボランティア。しかしその中には、胸に勤務先の名前の入ったたすきを掛け、のぼりまで立てて会社の宣伝に努めている
者たちもおり、その様子をじっと見ていると、中には缶ビールを飲みながら、ほろ酔い気分で掃き掃除している輩も
いるようだ。どうやら彼らは聖地を清めるという純粋なボランティア精神は持ち合わせていないようである。
お粗末なお役人
7月1日の山開き、世界遺産登録で例年を大幅に上回る登山客が殺到。当然道中と山頂での排尿、排便は多くなる。それを見込んで十分なトイレの増設が出来ているのか?
関係者ならずとも誰もが心配するところである。
ところが山梨県や静岡県の県職員や観光協会の関係者には、その重要性が分かっていなかったようである。その結果、準備が十分に出来ていなかったため、山開きの当日までに
道中や山頂のトイレの増設が間に合わず、3〜4日遅れてしまうことになってしまった。
その報告を受けた両県の知事は直ちに山開きを延期するか、入山数を強制的に減らすかの措置を取るべきである。しかし、それは行われないまま山開きとなり、例年の何割も多い登山客が山頂を目指
すところと相成った。
その結果は火を見るより明らかだ。 道中や山頂でトイレを使わない排尿、排便が多発し、聖なる山・富士はすっかり汚(けが)されてしまうこととなっ
てしまった。県知事をはじめ、登山口の市長、県庁職員、市役所職員、観光協会の人々、彼らの頭の中には世界遺産登録で転がり込むカネのことしか頭にないのだろう。
なんとも情けない、愚かな者たちである。地元の人間の一人として恥ずかしい限りである。
昔は富士登山と言えば、聖なる霊峰に登らせてもらうという考えが定着していた。それゆえ、登山する者は先ず清らかなわき水で身を清め、麓の富士山浅間神社にお参りして神主からお祓いをして頂き、さらに白装束に身を包んで六根清浄を唱えて登頂したものである。
それがいつの間にか、富士山を単なる日本一の高山と見なして、気楽な気持ちで登頂する人々が増えてきてしまった。車で5合目に行き、夜を徹して日帰りを目指す「弾丸登山」などその最たるものである。
こうした富士登山の心構えの変貌ぶりは、なんとも嘆かわしい限りである。
日々、霊峰富士を守り、清めている龍神様にとって、そうした行為は言語道断、不遜の極まりである。龍神様とコンタクトがとれている知人には、神々の大いなる怒りの声が届いている。
「堕落した人間どもには真(まこと)が見えぬ!!」と怒りの一言が伝えられた。
雲がかかり、霞がかかって霊峰富士の姿が見えない日々が続いているのは、龍神様の戒めでもあり、警告でもあることを忘れてはならない。
怒れる龍神様の鉄槌の下される日は、そう遠い先のことではなさそうである。