同時進行する汚染水漏れ
新たな汚染水漏れが見つかった東京電力福島第1原発の地上タンク=3日(東電提供)
このところ福島原発からの汚水漏れのニュースが連日のように伝えられている。これまでに起きている汚染水漏れの問題は、(1)汚染水タンクからの水漏れ(2)地下貯水タンクからの水漏れ(3)地下水の流入、の3つに大別され、先月の300トンの漏れは(1)に該当し、その原因は貯蔵タンク底部の継ぎ手付近の破損によるものであった。
さらに、今月2日に発生した4トンの水漏れは先の3つとは別に、 堰内に貯まった汚染された雨水をタンクに回収する最中、タンクの傾きに気づかず満杯にしたことが原因で起きた事故であった 。汚染水漏れの要因がこれだけ多岐にわたってくると、これから先、全ての事故を防ぐことが出来るのか疑問視せざるを得なくなってくる。
万に一つ、漏れを止めることが出来たとしても、これから先、毎日何百トンも増え続ける汚染水を一体どうやって処分するのだろうか。 限界を超えようとしている原発事故による汚染ゴミの処分問題と同様、政府や東電を信頼し安心して推移を見守れる状況ではなさそうである。
もはや、安倍総理のIOC(国際オリンピック委員会)の総会での発言「汚染水の影響は湾内300平方メートル以内で完全にブロックされている」が似非(えせ)ごとであることは自明の理。次々と漏れる汚染水が一日当たり数トンから数百トンに達する膨大な量であることを考えれば、それが岸壁で区切られた湾内に止まっていることなどあり得るはずがない。現に東電は2日に漏れた汚染水の一部が外洋(港湾外)に流出したことを認めている。
海水という大量の水で薄められるため、現時点ではストロンチウムやセシウムなどの放射能の高い測定値が検出されずにいるかもしれないが、これから先、貯まる一方の膨大な汚染水の量や保管方法や管理の手落ちなどを考えれば、このままでは原発周辺の汚染は取り返しのつかない状況となることは必至である。
もはや状況が東京電力という一民間企業の対応の限界を超えてきている ことは明らかだ。政府は原子炉周辺の土を凍らせて地下水を遮断する対策などだけでなく、人類の全ての英知を結集して、国家をあげて放射能汚染の拡大防止と第二次災害の発生防止に取り組まねばならない。それもここ数年が勝負時で、巨大な対策費の捻出も工面しなければならない。とても7年先のオリンピックなどにうつつを抜かしている時ではない。
拡大する中国の大気汚染
最近の北京市内の大気汚染。 防塵マスクをつけねば外出できないような都市は、人の住む場所ではない。
一方、中国の大気汚染はさらにその度合いを増して、この秋以降、再び猛威を振るいそうである。梅雨や台風で雨の日の多い夏場は陰を潜めていたが、これから春先に掛けて は、大気汚染のシーズンに入る。汚染警報が連日のように発動された昨年から今年の春にかけての汚染の度合いは、決して改善されているとは思えない。抜本的な対策が何一つ為されていないからである。
大紀元ニュースの記事を読むと、北京市では、9月に呼吸器障害などを引き起こす微小粒子状物質「PM2.5」が基準値を超える日数が14日に上り、例年より10日も増えたようである。29日にはPM2.5の1立方メートル当たりの平均濃度が250マイクログラムを超え、最悪のレベルに達したというから、昨年よりさらに状況が悪化していることは確かだ。
そんな中、北京市内の複数の小中学校で運動会が「決行」され、父兄から「健康のために行われる運動会なのに、こんな悪天候の中でも開催する必要があるのか」と不満の声が上がっている。それに対するある中学校の校長先生の「最近 は大気汚染の日が多すぎて、行事を全部中止するのは現実的ではない」という反論が傑作だ。ご無理ごもっともである(笑い)
日本の原発推進論者の「原発をゼロにするのは現実を無視した無責任な発言だ!」という主張とどこかよく似ているような気がする。私には、処分場の当てもないのに 原発を推進する方が遙かに無責任ではないか、と思えるのだが、カネに目がくらんだ輩にはそうは思えないのだろう。悲しい限りである。
経済発展を遂げるためなら、「原発」による海水汚染も「PM2.5」による大気汚染も必要悪なのだから、目をつぶるしかないではないか、という論理は とうてい受け入れられるものではない。人々の健康が損なわれることを前提にした経済発展などあってはならないからである。
海の汚染も 大気の汚染も、今すぐに放射能障害が発生するわけではないし、呼吸器障害が引き起こされるわけではない、だからそんなに大騒ぎすることはないと、考えている人が多いようである。まさに「今さえよければ」「自分さえ安全なら」そして「金儲けが出来るなら」の典型的な考え方である。
放射能であろうが「PM2.5」であろうが、いったん海や大気という巨大な空間に広がってしまえば、そ の汚染除去は共に人智を超えたレベルに達してしまい、人間の力で解決できる代物ではなくなってしまう。だからこそ、かねてから神々も宇宙の友人も核開発に手を染めてはならないと、強く警告を発してきているのだ。
事態がここまでに至っては、もはや時間との闘いである。この闘いに敗れたら、地球は人の住めない環境に向かって一直線で進むだけである。 いや一直線というより、急激な放物線を描いて進むことになりそうだ。ヨハネの黙示録が伝える最後のラッパが鳴るその時が、少しでも先延ばしされることを祈るのみだ。